怪優の死


夜中の二時まで残業していて、やっと仕舞を付け夕刊を広げてハッとする。

三國連太郎死す。

怪優、というのがこの人の役者人生に与えられた最も似つかわしい称号である事に、大方の異存はあるまい。
子供の頃から好きな女優、男優ランキングをつけていた私にとって、三國は常にベスト3の座から落ちることのない贔屓中の贔屓役者であった。

子供心にもあの魁偉さ、甲高さの中に凄味のある声、そして他の役者とは違う「破壊力」のようなもの、は分かり易かったのであろう。
後年「分かりにくいが底光りのする芸」とでも言うべきものに開眼してからは、三國の演技をやや大袈裟かつ、あざとい様に思う事も有ったが、それでも私はこの人を一度も嫌いにはならなかった。

何と言っても我が生涯に於いて「死ぬ前にもう一度観たい三本の映画」の一つが「犬神家の一族」である。
この作で三國のセリフは一言も無い。ただ、古館弁護士を指差し、言葉にならぬ末期の息を洩らすだけである。しかるに、このシャシンにおいて、全篇を三國の佐兵衛翁が支配する。そしてそれを観る者に納得させる。こんな事は他のどんな役者にも出来ない。

市川崑という希代の「役者づかい」であればこその超絶キャスティングだが、監督も監督、役者も役者である。

「飢餓海峡」「神々の深き欲望」「復讐するは我にあり」「金環食」「あゝ野麦峠」そして「セーラー服と機関銃」「マルサの女2」

いずれ劣らぬ強烈な役々であり、いくら配役する側の意図を考慮しても、そこには三國自身の「役への嗜好」を見て取らぬ訳にはいかぬ。

言ってみれば「人を驚かす」様なインパクト、「忌み嫌われ」「唾棄される」者への精神的同伴を持って、この優は半生を生きた。

故に、晩年の「釣りバカ」に内心忸怩たる思いを持っていた事は想像に難くないのである。

「生き方を変えた」とさえ言える、いわば一種の「転向」であってみれば無理からぬ事であり、そこが三國の「老い」との戦いであったと私は思う。

私に言わせれば、あれは三國の役ではない。東宝喜劇伝統の「突き抜けた明るさ」はしょせん三國の世界ではない。スーさんは小林桂樹にこそ相応しい役である。

私が高校生の時、「白い道」で親鸞を撮った時が、最後の「暴れ」だったのではないか?

三國七十代後半の頃、私は岸田今日子さんから、「ある芸術家の生涯を描く作品で三國と夫婦役で共演する話があったが、モデルの遺族の反対で企画がお蔵入りになった」という話を聞いた。

すでに、三國の望む様な「タブーに挑む映画作り」は困難な時代になっていたのである。

あんなに名優扱いされていたのにもかかわらず、晩年の三國はやはり一種の「不遇」であった。「釣りバカ」の陰で、いくつもの「三國にしか出来ない」企画が数多消えたであろう事を、私は惜しむ。誰よりも本人が、もっと役者魂がザワザワする様な企画を求めていたであろうし、その場さえ与えられればまだまだ傑作、代表作を遺したに違いない。

「寅さん」しかり。大ヒットシリーズというやつは往々にして名優を前衛から遠ざける危険を孕んでいるのである。

しかし、三國の全映画人生を俯瞰してみる時、私はその初期作品に大きな「救い」を見出す。
それは成瀬の「妻」であり、久松の「警察日記」である。

そこには三國の、巧まざる人間的魅力、素材の良さが茫洋としてあふれ出ていて、私にはひどく好もしく感じられる。

あの、「のっそり」とした味わいを、果たして後年の三國は超えたのか?
私にはまだ答えられない。

役者とは何か?巧い役者とは?いい役者とは?

私の一生のテーマであるこの命題に、とてつもなく大きなヒントを与えてくれた三國連太郎。

贔屓役者の筆頭である事に、毫も疑いはない。(合掌)
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