森光子放浪記2000回に寄せて

昨日は森光子の一大偉業達成の日とて、日本薄謝協会の特番を見た。

 

一時かなり調子が悪そうだったので、不死鳥の如き闊達な応答ぶりに驚きつつ、安堵し、彼女の一つの目標であった大先達杉村春子九十一才の最期の舞台を思い出した。

 

それにしても「森光子と言えば放浪記」というのは昨今のジャーナリズムの一つ覚えの布教であって、そればかり言い募るのは、女優森光子の正しい評価の為には余りにも見失う物が多いであろう。
私は昨夜、放浪記特番の後、自分の中の森光子を正しい位置に置き直す為、日曜劇場史上の傑作「天国のお父ちゃんこんにちわ」を観た。パート9、10を続けて。素晴らしい。これぞ森光子である。

 

テレビドラマ土俵における好敵手京塚昌子と「日本の母」の座を争っている真っ最中の珠玉の「フツーのオカン」である。大阪弁を使う森光子と東京弁を使う森光子の間には雲泥の隔たりがある。これは森繁、山田においても同じ事である(スケールは別の話)。この作には、すでに全国区であったとは言え、まだ若く、腕一本で伸して行こうとする(頂点を目指している)森光子のひたむきさとバイタリティが溢れ返っていて私は観るたび毎に涙を禁じ得ない。

 

しかも一作は名優浪花千栄子との対決である。ともに関西弁を得意とし、バイプレーヤーから片や文化勲章まで登り詰めた這い上がりの鬼、片や生涯主役を脅かす脇役の鬼としてその名を残したひと。(「浪花さんは主役の演技をするから困る」と天下の山田五十鈴が毛利菊枝に言った)女優の火花が散るとはこういう組み合わせを言うのだろう。こいつに負けてたまるか!と言う芝居敵を持たぬ事は役者にとって一番の不幸である。

 

寿命を縮めても観たかった芝居に五十鈴十種の内「千羽鶴」がある。言わずと知れた川端文学の傑作の舞台化であるが、この芝居で森光子演じた栗本ちか子の、不気味ささえ漂わす底知れぬ女の怖さは好劇家の中で一つの伝説になっている。

 

私はある古老女に聞いた。「森さんはああいうのが良いのよ」。こんちわー、パンツ屋でーす!

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