大野一雄と淳ちゃん

連日の訃報続きである。

大好きだった舞踏家大野一雄が百歳超えの天寿を全うした。藤沢まで観に行ったラ・アルヘンチーナ頌は忘れる事は出来ない。老いさらばえたとしか言い様のない肉体から突然噴火する生命力。愛やら、虐待やら、哀しみやら。およそ今世紀の人と宇宙の事は全て踏り切ったのでないか?しかし何と言っても色気があった。全ジャンルの舞台人に絶対不可欠なもの、色気。数回でも生で見られた事が幸せと思える不世出の大芸術家であった。

そして今日は地元窪川の名喫茶淳の看板娘、淳(きよ)ちゃんが亡くなった。この人には忘れられない思い出がある。高校生の時、実家の店を手伝っていて、淳ちゃんに水を出したら、「あんた、もっと下持ちなさいや」とピシャリ小言を食らった。なるほど口にさわる所を持ったら不潔な訳で、それ以来私は人に水や茶を出す時、又は自分に出される時、必ず淳ちゃんの事を思い出すのである。

淳ちゃんという人は若い時は東京の白木屋デパートに勤めていて、昔の田舎では鼻糞拭いちょった(田舎者ではなく垢抜けていた)らしく、物を言っても辛口で、お上手を言う様な人ではなかったが、人に嫌われても正しい事を教える、という事は人人(にんにん、これ土佐弁?)には出来ぬ事であり、今日の日本人に最も欠けている部分ではないか?私は淳ちゃんのお陰で、湯茶を出す時、どこを持つか、という些末な事ではなく、漫然とせずに一瞬ピリッと引き締まって供するという癖をつけてもらえた事に、ただただ感謝するのみである。

これも不思議な回想だが、淳の創始者である淳ちゃんのお父さんが亡くなる直前、病院に見舞いに行ったらおじさんは検査に行って居ず、代わりに淳ちゃんがベットに横たわっていた。私はまるで死体のようだ、とその時思ったのを憶えている。映画のようだが、その時の淳ちゃんは全く死んでいるようだった。それから十年以上、淳ちゃんは本当に死んだ。その日の事が、今日の事に思えて仕方がない。その人の有様はそれを思うところにあるのである。

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.