無礼者

遊んでばかりいた八月から一転、怒涛の九月である。

十五周年の記念展を、高知と東京で同じ月に連続して開催するという強行スケジュールは「自分虐待」以外の何物でもない。

十一月の記念公演とパーティーの準備に追われ、満足に勧誘も出来ず迎えた高知展。

幕を開ければ意外の盛況であった。

いっときに重なってお相手出来なかったお客様もあったが、それはそれで「残し福」である。

なんでこんな口の悪い、憎たらしい男の為に皆さんご来場下さるのか?不思議である。

そんな中にも椿客があった。二人連れの片方はお茶のご縁で私がご案内した方だが、もう一方はそのお付きで私とは初対面。

「着物買うなら私が付いて行って値切っちゃお」という雰囲気丸出しのオバハン、失礼、ご婦人である。

初めて来た店への遠慮や礼儀などはカケラもない。
いきなり掛けてある訪問着の袖をギュッと握ったりする。

一流の呉服を永年見て来た客というのは、染や織を見ればその品の程度は見分けるものであり、生地をつかんだりするのは愚の骨頂である。

私の河東節の師匠、人間国宝山彦節子などは、三條へ買い物に寄って下さった折、お気に召した袋帯を私がお太鼓の形にするのを「触るでない」と制し、ご自分では一切手に触れようとしなかった。

つまり自分が買うかも分からない物に、売り手と言えどもベタベタ触るな、という事であり、また同時に自分がまだ買ってもいない品に手垢を付けてはいけないという「躾」がそこにはあったのである。

それには程遠いこの日の婦人。初めの一枚から私のすすめる品を「地味地味!」と言って却下する。

「誰に向かって言いゆうが?」と内心ムカつきながら「あんまり嬉しがりみたいな派手なのよりシックな方がお茶にはいいですよ!」と言い返す。

この婦人、私が品物を広げる度に、さも自分は着物の事は玄人裸足!と言わんばかりの自信に満ちた口調で、いちいち的外れな寸評を下さる。

こういうのが呉服屋で一番嫌われるタイプである。我々が一番怖いのは、何を出しても「うーん」と首を傾げるばかりで何も言って下さらない方である。こういう御客様こそ本物である場合がほとんどであり、あーだこーだ御託を並べるのは大抵紛い物である。

やがて本人の気に入った付け下げと帯が組み合わさり、オバハンも「これは気に入った、これならええわ」と御墨付きを与え、値段を弾いた所で、まあお茶でも一服、となる。

茶席へ案内し、丁度呈茶の先生がお昼に抜けていたので店主自ら点て出し。

するとオバハン、茶をもてなされている真っ最中に、「今、話しよったところやけど、値段がもっとグンと安うなるやったら買いなさい、そうじゃなかったら買いなさんな、と言うたところよ」と来た。

私が「いえ、あの帯はそもそも今回の大奉仕で半額になってますから」というと「値段らどうでも付けれるきね」とおいでなすった。

こんな手合いには和敬静寂もヘチマもない。「うちはそんなええ加減な値段の付け方してませんから!そんなねえ、値切ったら値切ったばあナンボでも負ける様な信用の無い商売してませんき!」

オバハンは「ほんなら買えんわ、私らみたいな貧乏人は!」と連れを無視して自分が買いに来たかの様に言い切ったその口で平然と「まあこれは、いいお茶碗ですねえ」などと言う。

この人もまた「恥ずかしい人」である。

無論それ以上の話は無く、お引き取り願った。

まだ何も買ってない初めての店で、人の同伴で見に来ただけの自分を「お客様」だと思っている勘違い。

そんな客をのさばらせている処々の店の躾の悪さ。志の低さ。

そこで思い出すのは我が師、三條山脇初子である。

私がまだ高校生で毎日三條に遊びに行っていた頃の事、どう見ても夫婦ではない(私は小学生の頃から旅館の玄関へ客を迎えに出て、その素性を瞬間に察知する習性を身に付けていたのでそんな事を判別するのは朝飯前である)男女がやって来て「夏帯を見せてほしい」と言う。

当時まだ接客をしていた社長があれこれ見せ、墨地に露芝の紗袋が気に入り、値を問うので「十九万八千円です」と答えると、男の方が「それをなんぼにすんねん?」と問う。

社長「十九万八千円でございます」

男「せやからそれをなんぼにすんねん、ちゅうとるねん」

社長「ですから十九万八千円でございます」

男「そんなもんお前今どきな、電気屋でも何でも七掛けや八掛けは当たり前やで。正札通りなんちゅう商売やっとったら今に潰れるど」

「その時義経少しも慌てず」じゃないが、その時初子少しも怯まず、「ハッハッハ」と笑い飛ばし「それは、世の中には百円の値打ちしか無い物に百万の値札を付けた物を半額にすると言われて喜んで買うめくらの客もおれば、百万以上の値打ちのある物を百万で買う目開きのお客様もおりますのでね。うちは十九万八千円以上の値打ちのある物に十九万八千円の値札を付けてますから!一銭もお負けできません!」と言い放った。

男は捨て台詞を吐きながらすごすご店を後にし、社長は「塩撒いちょきなさい!」と言うた。

明くる日、どうしても欲しかったのだろう、女が一人でやって来て「昨日の帯を下さい」と十九万八千円で買って行った。

商売を始める前、しかも多感な高校生の時分にこんなのを目の当たりにしているから始末に悪い。

つくづく三條様々であり、修行時代「うちでもらう給料じゃ言うものは微々たるもの。その人間がその気なら、給料の何倍もの物を学ぶ事が出来ます」と言っていた事が今こそ、身にしみじみと痛感される。

嫌な客に媚びへつらって自分らしさを無くし、ひいてはファンである上顧客の信頼までも失ってしまう落とし穴が、商いの道にはそこかしこにある。

誰にも好かれようとしなければならない大企業やネット商売と違い「気に入らない客には断じて売らない」これこそ個人商店のただ一つの愉快であり、私が学んだ三條イズムの第一条である。
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