下浚い

今日はいよいよ十日後に迫った十五周年記念公演の下浚いの為、今月五回目の上京。

下浚いとは、邦楽邦舞の世界で言う本番前のリハーサルの事である。これがあって、舞台稽古、本番となる。

無論それまでに立方(踊り手)、地方(唄い手)それぞれの稽古はあり、初めて一同に会して全体の調整をするのが下浚いである。

私も主催だけでなく、河東節の浄瑠璃で地方を勤めるので、早起きして汽車に乗り、下浚いに場所をお借りする尾上菊之丞さんの銀座の稽古場へ到着。


昨夜菊之丞さんに電話したら、ちょうど高知で踊ってもらう「弓始」の振り付けを練っている最中との事で、多分徹夜になると言うので「じゃ起きてたら六時半に電話してくれます?」と畏れ多くも厚かましくも家元にモーニングコールをお願いして起こしてもらったのだが、出迎えてくれた菊之丞さんの寝不足の顔を見て、私が寝ている間に一晩中振り付けに苦心されていたと思うと申し訳ないやら有難いやら。

やがて三々五々出演者の皆さんが集まって来る。邦楽の人は皆時間が早目である。たいていの場合、予定の開始時刻よりかなり早く揃い「始めちゃいましょうか?」となる。

まず「弓始」、続いて「船弁慶」の順に浚う。
「弓始」は自分も唄ってるので、トチらないよう唄本から目が離せず、踊りはチラチラしか見られない。
終わったあとで菊之丞さんに、「全然見てなかったでしょ?美馬さんにチェックされると思って昨夜必死でやったのに。あんなにやんなくて良かったなあ」と冗談を言われる。
私はそれどころか、初めて勤める菊之丞さんの地で失敗しないようにと思う余り、本番並みに緊張し、終わると胃がキリキリ痛かったくらいであった。


染五郎さんも支度が調い、船弁慶にかかる。染五郎さんは本塩澤の縞の着物に紬の袴、菊之丞さんは紺の紬に竪絽の袴の装い。
地方もみな着物である。
当節はお茶の世界でも洋服でオッケーになっているが、この世界はたとえリハーサルと言えども、着物厳守である。

笛の音がピーッと高鳴り、いよいよ物語が始まる。芝居の稽古でどうしても来られない勘十郎さんに代わって、染五郎さんと菊之丞さんが交代に義経の台詞を言い、目で合図しながら、進めて行く。
登場人物の動き、居どころ、距離、キッカケ(演出上重要となる「ここ」というタイミング)のなどが確認されて行く。

私はこの作っていく過程を見るのが大好きである。本番より好きと言っていいくらいだ。

昔幸運にも歌右衛門健在の頃、歌舞伎座で新薄雪の舞台稽古を見学した事があるが、あの大成駒が舞台の中央であれこれ指示を出したり、本番とは違い芝居を途中で止めたり、台詞を忘れ「何だっけ?」と狂言方に聞いたりするのを見るだけで堪らなく嬉しかったのである。

昔は今ほど歌舞伎のドキュメンタリーなんて物が一般視聴者にウケなかったので無理もないが、歌右衛門のドキュメンタリー、または舞台のメイキングを撮っていたら、超一級の面白い番組になったであろう。
逆に言うと、資料に残ってない物を生で見ている私は幸せである。
仲の良い染五郎さんと菊之丞さんが、目と目で会話しながらやりとりする様は何とも微笑ましく、手探りで「無」から「かたち」を作り上げていく過程は実に魅力的である。

菊之丞さんの役者顔負けの美声が朗々と響き、染五郎さんは前半の山場である静の舞が終わった時点ですでに汗びっしょりである。

二人とも人柄が貌に滲み出ている。こんな人達と友人の様にお付き合いさせていただいて、つくづく自分は果報者だと思う。


いよいよ佳境に入って知盛と弁慶の対決になり、二人が真剣な眼差しで睨み合い、対峙しているのを見て、私は不覚にも目頭が熱くなった。

「これを高知でやるんだ」と思ったら鳥肌が立った。二人だけでもこんなに凄いのに、これに勘十郎さんが加わったら、どんな凄い事になるのか?

幕外の引っ込みが終わり、義経と弁慶が橋掛かりを引き上げて行く時には、客席は感動と興奮のるつぼとなり、とてつもない拍手喝采で割れかえっているであろう。それを想像したら二重に泣けてくる。

これはもう「乞うご期待」とか言うレベルじゃない。

これ見て歓喜しない者がいたら、それは魂の錆び付いた、気の毒な人という他はない。
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