進物

明日の十五周年を前に素敵なお祝いの品が届いた。

まだ取引を始めて日も浅い、個人の問屋さんから。

大きな箱で届いたので何だろうと思ったが、都会的センスの、若い社長なので、へんてこりんな物はくれまい、と期待して包みを開けると、見たことのない祝い額であった。


桐の台に胡粉(貝殻を砕いた染料で友禅染の白い部分に使われる)をこんもり盛り上げて描いた絵と筆文字で縁起の良い言葉が書いてある。馬が三つ。私が携帯メールの最後に馬マークを三つ入れて三馬→美馬と洒落ているのを踏まえた、何とも気の利いた贈り物である。
聞けば「高盛金彩絵」という技法らしい。

人に進物をするならこう行きたいねえ。

戴くものは何でも有り難く、なんてのは建前で、吉良上野介ならずとも、趣味の合わぬ物や見当外れの進物はまことに困りものである。

殊に、かさばる物でセンスの悪い品をもらった日には文字通り始末に悪いが、これは奇跡的にいい。好みも何も問わぬ、伝統に則った、素晴らしい贈り物である。

店の入り口横の壁に早速掛けると、寸法もぴったり。

すべからく、「喜ばせたい」という気持ちが無かったら、進物を選ぶのは楽しみでなく、ただの苦痛である。

私が子供の時からプレゼント好きで(先日も久しぶりに会ったギャラリー経営のお客様から、私が中学生の時、母親の誕生日にと言って当時なかなか見る人のない陶器を買って行った時、この子は一体どういう子?と思ったという話を二十五年振りに聞かされた)、色々選品をし、また色んな物をいただいた経験上、考える贈り物のランク(金額の多寡でなく心構えとしての)というものがある。

まず最低は、趣味の合わぬ、独りよがりの押し付けがましいもの。

その次が、その人ないしその日の招待客全般の好みをあれこれ呻吟し、迷い選ぶ事を放棄したカタログや、洗剤等の誰でもスーパーで買う消耗品のたぐいである。
あんな引出物するくらいなら、やめて料理の予算に回した方がいい。

私の考える最上の贈り物の基準とは、その人の好みを知り尽くした上で、「絶対好きだけど自分ではなかなか買わない物」あるいは「まだ知らぬであろう物」である。

ついでに言えば、祝儀の金額で悩んだら、私は必ず多い方にする事に決めている。

結婚披露宴も同じ嫁で二度やったが、同じ金額であっても、決して経済状況が余裕綽々でない中、しかも私に対してそんな恩義もない人のそれと、余裕がありながら、しかも私にそこそこの義理がありながらそれだけしか包んで来ない人のそれと、そこには天地ほどの落差がある。

つまり、金額そのものではない、やはり「形に現れる心の有り様」である。

当欄史上、最も反響の多かった「贈り物について」に書いた通り、人に何かする時、人は岐路に立っている。
ましてや進物をする時、人は試されているのである。

「進物場」は「正念場」である。
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