大宴のあと

終わってみればあっけなく、しかし虚脱感ではなく、満身に充実感を得た一日であった。
震災の事もあり、少し躊躇したが、五月末に染五郎さんの快諾を得、覚悟を決めたら一心不乱、まっすぐにこの日に向けて邁進して来た。

その十五周年大舞台と宴の記。少々長くなるが寛容の御見聞を願う。

半年掛けて練りに練り上げた甲斐有って、ほぼ遺漏なく、我ながらまずまずの出来と言っても差し支えあるまいと思えた一日であった。

いつも大イベントの時は前日の夜中まで準備に追われ、朦朧と本番を迎えるのがお決まりだが、今回はどうした事か、前々日に大体の事が出来てしまい、前日には「今日は何します?」みたいな気分であった。
こうなると反って不安が募る。何か大変な事を忘れてるんじゃないか?大きな落とし穴が待ち受けているんじゃないか?

心配は別の形で的中した。

昼の記念公演の三人の主役の一人、菊之丞さんが京都からJRで前乗りの途次、善通寺から電話をして来て「すみませんが葛根湯を買っといてもらえませんか?」と言う。聞けば少し寒気がするとの事。「風邪?困るなあ、うちの公演の前に気い緩めてもらったら」などと冗談を言っていたのだが、家内と二人で高知駅へ迎えに行き、エスカレーターで降りてくる姿を見て、不安は確信に変わった。「こりゃ様子がおかしい」
肩をすくめ、ぶるぶるっとふるえている姿はただ事ではない。
私たちに心配を掛けまいとして平気そうに振る舞ってはいるが、明らかに容態は軽くない。

即、駅前にある病院へ連れて行き、インフルエンザの検査をしてもらう。
何と熱は九度を越えていた。
本人は、自分は兔も角、もしインフルエンザだったら染五郎さんはじめ座中一同、さらにはお客様にもうつしてしまう可能性がある事を案じ、判定の出るまでぐったりとうなだれていた。

今は芝居でもインフルエンザと判明したら強制的に休演させられるほど、感染拡大防止に重きが置かれる時代である。
オレンジ色の毛布を被って横になっている姿はまるでレスキュー隊に救助された遭難者の如くであった。

この人が明日舞台で二番も踊る?普通信じられないが、私も友人の体を心配する気持ちと、主催者としてのシビアな責任が交錯しながら、二人は何故かまったりしながら「大丈夫?」「分かりません」「代役誰か確保しといた方がいいですかねえ?幸四郎さんはアマデウスやってるし無理か」などと本気とも冗談ともつかぬ事を言い合いながら、検査結果を待ち侘びる心も一つである。

一時間半後、判決は言い渡された。



シロであった。

暗雲立ち込めていた菊之丞さんの顔に、体はしんどいながら、最悪の事態は避けれた安堵の色が広がる。これで、自分さえ頑張れば迷惑をかけずに済むと。

コンビニでおでんを買い、うちからパジャマや下着を持って来さしてホテルへ入り、後は薬を飲んで汗かいて着替えてを繰り返すしかない。
私も、横にいて夜っぴいて看病したかったが、自分も明くる昼の部では河東節を語り、トークの司会をし、夜は大パーティーのホストとして朝から晩まで息つく暇の無い大舞台である。
後ろ髪引かれる思いで病人を一人残して帰る。

芝居ではカラスが鳴いたら朝になるが、現実はそうはいかない。
家に帰ってからも、心配やら、染五郎さんだけには連絡しておいた方が良いだろうか?と悩んだり、やっぱり一晩中付いていてあげるべきではなかったか?と後悔したり。

その一方で自分が謝辞の後で歌う歌のカラオケを今夜行き付けの店に取りに行く約束だったのを思い出したり。

まこと人間の頭の中は忙しい。

祈りつつ、浅川マキはいなくとも、夜は明けた。

ギリギリまで待って、菊之丞さんに電話をかける。

思いの外ハリのある声を聞いて、まずは安堵。むろん私からの電話と知って精一杯の元気を見せての声である。でも熱はまだ八度以上ある。

私は当日乗り込みの染五郎さんと勘十郎さんを迎えに空港へ。

染五郎さんには車中で菊之丞さん急病の事を報告する。

劇場に到着すると菊之丞さんは一足先に楽屋入りしていて気丈に振る舞っている。

時間は迫っている。

すぐさま船弁慶の舞台稽古にかかる。

染五郎さんも勘十郎さんも、菊之丞さんの体調がただ事ではない事は百も承知で、やるとなったら真剣勝負である。もちろん心中は心配で一杯ながら、みなご同業。そこは知らんぷりの半兵衛が愛情であり、武士の情けである。

三役中、一番台詞が多く、その上朗々としていなければならないのが菊之丞さん演じる弁慶である。

幸い声はやられていなかった。

普段の舞台と違い、能舞台であってみれば、場当たりににも時間を要す。シテの染五郎さんが自分の方がずっと年上ながら、振付師としての勘十郎さんに礼儀正しく対する姿には心を打たれた。

続けて菊之丞さんの演し物「弓始」の舞台稽古。時折しゃがんで後ろ向きになる時、いかにも辛そうである。熱で節々が痛むのであろう。

「弓始」の主人公平の知盛は保元の乱に敗れ、得意の弓を射れない様に手足の関節を折られて島流しにされる人物である。
曲中に「手足の節を挫かれて」とある。

さては知盛の祟りか、と思ったくらいである。

あっと言う間に本番三十分前、客入れが始まる。

もうこうなったら止まらない。怒涛の一日の本番の火蓋は切って落とされた。

泣いても笑っても、やってやって、やりきるのみである。



創業十五周年ごふく美馬伝統芸能の夕べ特別公演「素踊り三人の会」はかくして幕を開けた。
満員御礼の客席には、私の勧めによって切符を買ったお客が犇めいている。しかし私にはもう不安は微塵もない。ここまで来たら後は開き直りである。


まずは初来演の勘十郎さんが「松の翁」を舞う。
私は自分の出番前ゆえ、出のところだけ見て裏へ回り、舞台横の御簾内から見たが、心ここにあらずで見入る事は出来ない。

いよいよ菊之丞さんと私が初めて舞台で「お仕事」をさせていただく「弓始」の番だ。

緊張はしながら、天にまかせるハラで座を構え、踊りは見ずに語っていく。


無我夢中とはあの事だろう。
必死で語り、向こうも必死で踊り、兎も角一曲やりおおせた。

「別して疱瘡安全を守らせ給う御誓、勇士の威徳ぞ有り難き」と語り終えた時、目前には扇を前に正し、礼をする菊之丞さんの姿が現れた。

いつも舞台で一曲語ると汗びっしょりの私だが、この日は汗の上に原因不明の涙が溢れて来て、

秋といえ
涙隠しの
汗流し

という有り様であった。


そして、トークは和気藹々と終わり、いよいよ眼目の船弁慶となる。

勘十郎の義経、菊之丞の弁慶ともに、荘重な出から緊張感溢れる演技で、素踊りとは題しながら、あくまでただの舞踊ではなく、芝居に近いノリでドラマチックに展開していく。

素踊りの魅力の一つはキリッとした男の袴姿であるが、特に二人立ち、三人立ちの場合、その色の取り合わせの妙が実に美しい。

殊に船弁慶ともなると衣裳の色で役柄を表す必要があるので、三人が念入りに打ち合わせた見事な配色である。

静は薄い藤鼠、知盛は銀鼠、弁慶は濃いチョコレート色、義経は鶯色、という実に考えられたものである。

まずは菊之丞の弁慶が名乗りを高らかに謳い上げる。病をおして、いやそれを感じさせまいとして常にも増して気迫のこもった舞台姿である。

勘十郎の義経が、鷹揚な中に御大将の位取りを見せ、鬘桶に座って微動だにしない間の凜然とした姿はまさに早成の大器である。


染五郎は静ではひたむきな情愛を見せ、知盛では本興行以上に気合いの入った熱演で勇壮さと負修羅の凄絶さを爆発させた。

何が嬉しいと言って、何人かのお客様からいただいた「染五郎さんはじめ出演者の方々の美馬さんに対する思いがひしひしと伝わって来た」という感想である。

無論染五郎さんも菊之丞さんも普段の舞台を手を抜いてやっている訳ではない。しかし何かしら特別の思いが舞台から沸き立っていたとしたら、それは身に余る喜びであり、僥幸である。


いよいよ大詰めとなり、舞台客席ともに最高の緊張感、高揚感に包まれる中、薙刀を背に知盛が橋掛かりを引っ込むと、満場割れんばかりの拍手の渦となり、一瞬の静寂あって義経と弁慶が橋掛かかりを進むと、さらに大きな拍手喝采。

大当りとはこの事、という反響だが、ここで喜んでいられないのがこの日の大変さ。まだまだ後がある。

幕が閉まると急ぎ表へ出てお客様の見送りに。特に夜のパーティーに来ないお客様を中心に、お礼を申し上げる。短い会話の中にも「凄い良かった」「またこんながやってよ」というお言葉をいただき、まずは昼の部の成功を実感し、「よっしゃ次は夜の部!」と気合いが入る。

夜は会場を高知新阪急ホテルに移し、創業十五周年の宴となる。


まずは芸舞妓のお点前とお控えによる茶席でお客様をお迎えする。


同門の姉弟子たちに加え、私がお茶に引っ張りこんだ中村君や、岡山から駆けつけてくれた同業の高橋君もお運びを手伝ってくれる。おまけに息子春平もお運び初体験。
染五郎さんと菊之丞さんにもお接待出来て重畳。

定刻となり、さあさあ宴の始まり始まり。

染五郎菊之丞御両人を拍手で迎え、踊り切って体調も戻ったと言う菊之丞さんに祝辞をいただく。

スピーチさえしてくれたら後は部屋で休んで下さい、と言ったにもかかわらず、最後まで染五郎さんともども自席で歓談してくれた。


続いて宮川町の若手ホープ叶千沙ちゃんとふく光ちゃんによる祝舞「鶴亀」。華やかな中にも格調高く、十五周年を寿いでくれる。

南国市議会議員に当選したばかりの高木さんの音頭で乾杯。過分なお言葉を頂戴する。

乾杯したと思ったら早速カクテル対決。


会場の新阪急ホテルの女流チーフバーテンダー高橋さんと、私の銀座の行き付けチェイスのオーナーバーテンダー中村くんが私をイメージして創作カクテル「ビューティフルホース」No.1とNo.2をそれぞれ五杯づつ作ってくれる。

両者ともに私のクセを捉えた佳酒をものしてくれ、バーコーナーでも良く売れた。

続いて染五郎さんと菊之丞さんが各テーブルを記念撮影に回ってくれる。


私は一足先に回って看板の入る位置にお客様を並ばせ、また次のテーブルへ。
これで足がやられた。長きに亘る準備の疲れに、当日朝からの大量発汗による水分、電解質不足も相俟って、激しいこむら返り発生。

そこはぐーっと伸ばして乗り切る。

しばらく食事歓談タイムだが、この間も休んではいられない。屋台や料理卓へ取りに行けないお客様の所へ料理や酒を運び、お酌をする。




宴半ばとなり、芸舞妓の踊り三景となる。
まずは高知出身の市桃ちゃんの紅葉の橋。続いて襟替え間近のふく紘ちゃんの黒髪。ふく笑ちゃんが解説に出てくれる。


トリは梅嘉ちゃんの「はっはくどき」。菊と紅葉の着物がちょっと無いくらい似合って壮観。京の風物を織り込んだ洒落た俗曲だが、むーちゃんがこの日の為に作詞した替え歌の三番が大いにウケる。

土佐で土佐で 好みのよいのは
美馬の着物じゃないかいな
色はんなりと 柄垢抜けて
源氏香 宝尽くし 菊紅葉
七宝 松 竹 梅 藤に桜や
ちょっと覗けば はっは美馬めが
喰いつく喰いつく ごふく美馬

弥千穂ちゃんの明晰な発音のお陰で初めて聞く人ばかりなのにヤンヤの喝采。


そして大喜利に桂吉坊師匠の落語「船弁慶」。
本歌を知らずにパロディが出来るか!の精神のもと、昼の外題と夜の外題を揃えた企画は大成功。

目一杯詰め込んで、てんこ盛りで送った二時間。が、これで終わらないのがうちの宴会。

謝辞では五年前の十周年でやり忘れた大成駒の声色をたっぷりやり、これには真ん前の席からいつも私がぞめいているお返しに染五郎さんや菊之丞さんたちが大向こうに回り、「待ってました!」「大成駒!」「六代目!」
とぞめくぞめく。

満場の客を見渡し
「絶景かな絶景かな
いずれ菖蒲杜若
ちらりほらりと姥桜
ハテ麗らかな眺めじゃなあ」

とやらかしたから大変。ヤンヤの大ウケである。


これでもまだ終わらない。最後はお決まりのリサイタルである。
一部コアなファンのリクエストに応え私が一曲やらないと納まらない。
今日の日に選んだのはひばりの中でもマイナーな「歌は我が命」。
こういう、ファン以外にはあまり知られてない曲を大一番で出すのはリスクが高く、まさに一か八かである。

だが勝算はあった。今日の朝から晩までの「美馬流」に付き合ってくれた客人たちに、これがウケない筈はない。
「いつの日も私の歌 待っていてくれる あなた あなた あなたあなたあなたあなた あなたがいる限り」
フィニッシュ決まって会場は完全に一つになった。

中締めは恒例により、染五郎さんの一本締めでピリッと決まる。

お見送りをしながら、皆様から逆に「こんな素晴らしい会にお招きいただいて」と感謝の御言葉を数々頂戴し感激しつつ、やって良かったと久々の達成感であった。


人掛ける
人の織り成す
あやにしき
我が身に過ぎる
宝なりけり



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