私の正月その一

当たり前の事ながら、今年も正月がやって来た。
行事ごとの好きな私にとって、暮れから正月にかけての数日は、子供の頃から特別の時間であった。

毎年変わらず窪川の実家で迎える正月にはきっかり決まった流れがある。
まず大晦日には雑煮や焼き餅用に餅を切るのが私の仕事である。
これにも「切り時」と言うものがあって、餅がやわらかい内は包丁にベタベタくっついて切りにくく、遅すぎると固くて馬鹿力が要る。
丁度頃合いに包丁を入れると、面白い様にストンストンと切れる。何事も「とき」が肝要である。

我が家の大晦日の献立は年によって変わる鍋物(すき焼き、魚の煮食い、ちりなど)、煮〆、刺身などである。


中でも欠かせないのが煮〆であり、これは清めたばかりの仏壇や神棚に供える。
一年を〆括るという意味を込める。
年々こういう料理が嬉しくなって来、油っこい物は敬遠がちである。


今年の鍋は自家製でなく、道頓堀今井の「うどん寄せ鍋」にした。
私は高校の卒業式の打ち上げの時に居酒屋で出た寄せ鍋があまりに不味く、私はそれまで自分の家で鍋と言ったら肉なら肉、魚なら魚という「一種鍋」しか食べていなかったので、肉やら貝やら魚やらをごった煮にしたのが非常に気味が悪かった。それ以来寄せ鍋なんぞ食いたいと思った事がない。
しかし、ここのは別である。日頃から松竹座観劇の度に訪れ、その味には全幅の信頼を置いている名店のお取り寄せである。
ワクワクしながら箸を取った。
流石である。
上品な出汁がバラエティーに富む具材をまとめ上げて、見事に寄り合っている。
特に高知の田舎ではなかなか手に入らない生麩が旨く、京都産であろう小蕪の瑞々しさが堪らない。
今年はお客様への御歳暮として今井のうどんを贈ったが、評判は上々であり、もはや私にとって殿堂入りの店である。

刺身はトロ、ブリ、イカでいずれも上々。


今年はこの他に皮鯨の煮付けが絶妙であった。

やがて夕飯が終わり紅白を見終わると、一目散に四国霊場三十七番札所「岩本寺」へと急ぐ。ここには町内から初詣の客が大勢押し寄せ、友人や知人に挨拶するのに忙しい。そしてお振舞の年越しそばを戴くのが何よりの楽しみである。急いで行くのはモタモタしてるとこれが売り切れる(タダだから正確には売り切れではないが)からである。
年がかわるその時、百八つ目の金が打ち鳴らされる。それぞれの煩悩は祓えたかどうか分からぬが、とにかく皆拍手で祝う。


百八つ目以降は誰でも自由に鐘を撞かせてくれるので春平も着物で鐘撞き。数年前に拵えたこの久留米絣も揚げを全部下ろしても裄は一杯一杯、身丈は寸足らで、今年で着納めである。

お寺の中を一通り参り終わると今度はすぐ上の森に囲まれた氏神様へ参る。三熊野神社といい、我々の子供の頃からの遊び場であり、大人になってからもしばらくは、鳥居の上に石を投げて載せる、という儀式を毎年恒例にしていた。これが中々に難しく、私も長い間に一度しか成功した事がない。
お遍路で賑わうお寺の豪壮さに比べお世辞にも立派とは言えないが、私にとっては非常に愛着のあるお宮である。今年の夏、ちょっと考えるところあってお参りに来たとき、曾祖父の名を境内で発見した。


昭和八年に七円の寄進をした時の石碑が残っていたのである。私も今年は本厄なので、幾ばくかの寄進をさせていただきたいと思っている。

この後、若い時分なら夜中かけて町内のお宮を自転車でハシゴしたものだが、歳ではあり、他は翌日に残して帰宅。すると、元旦の新聞配達が一時前だというのにもうやって来た。十数年前までは三時前だったが、年々早くなっている。配達員への配慮であろうか。しかしいくらなんでも十二時台は早過ぎる。まだ大晦日やき!と思ってしまう。
不況を反映して広告が減り、グッと面が少なくなった新聞を隅々まで読み、大晦日の行事は滞りなく済んだ。

何度迎えても、この大晦日の夜中から元旦の朝に掛けての時間は、他のどの時間とも違う別格の味わいがある。

十二時で日付は変わっているが、昔は日の出で新しい一日が始まるのであり、その新旧日付変更線のあわいにある三時から四時の間が、私にとって最も濃い時間である。
私には初日の出を見に行く趣味は無い。ただただこの夜明け前が好きだ。

並の者は夢現の時間であり、こんな時に神経を立たせている人間は日本中でもそうはいない。

千家では若水を汲んでいる時分だろう。そんな事を考えながら、心静かに、自分の内なる古き物が新しい細胞へと変わって行くのを感じる。

何者にも邪魔される事の無い、澄み切った世界がそこにはある。

げに元朝の有難さである。
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