東奔西走十泊の旅 その二

明けて三十日。本厄同士のむーちゃん、前厄のひかるちゃんの三人で石清水八幡宮へ厄除祈願の為、参詣す。


ここはかねてより一度参拝したかった社である。高校の古文の授業以来の憧れの地。
徒然草五十二段「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)より詣でけり」

何でか知らぬがこれが頭にこびり付いて離れない。ひばりの絶唱「哀愁波止場」に
「思い出の滲む歌 耳に残って離れない」
とある。

今日のところは「常ならぬ男三足(みたり)、車にて詣でけり」というノリである。
流石に歴史ある佇まいであり、矢鱈に人の居ないのがやや鄙びた感じで良い。
我々が境内に入ると突如として霰が振りだした。霙や雹はまだ出っ食わす機会があるが、霰に出逢う事は稀である。
何と美しい事か。サラサラとして、衣服に付着してもすぐには溶けようとはしない。まるで発泡スチロールの細かい粒の様である。
雹がアイスであり、霙がシャーベットなら、まさしく霰はフリーズドライである。
日本語の、つまりは日本人の感性の鋭さ、類い稀なる表現力。気候用語に最もそれは顕著である。
霜、時雨、春雨、霧雨、吹雪、粉雪、牡丹雪。
「花吹雪」とは世界一美しい言葉である、と言った人がある。

そんな事を言った後で誠に尾籠な話だが、外気そのままの待ち合いで震えながら祈祷を待つ間、ふと気を許した瞬間、「スーッ」と放屁した。
前夜のステーキが効いたのか、我ながら一級品の香しさである。
いつもなら真っ先に気が付くむーちゃんも、マスクをしていて気付かない。すると、前に陣取っていた家族連れの若い母親が、二歳とおぼしき我が子をやおら抱き上げ、尻の辺りをクンクン嗅ぎ、首を傾げている。
とんだ濡れ衣である。それ見よ、こんな所にまで「雨冠」が付いて来る。
罰当たりこの上無いが、生理現象ゆえお許し願う。

我々のお祓い担当神主は祝詞の一部を妙に力んで言うのが可笑しく、「祈願」を「きーぐゎん!」と言う度ツボにハマり、こらえるのに骨が折れた。


お祓い済んでの後は肩に掛けた黄色い袈裟?に名前と年齢を書き込み、神社奥の塀に納める。
同じものがズラーッと並ぶという現象に何故我々は美を感じるのか?しかもひらひら棚引くとなお美しい。

今日はこの後立木さんへも参る筈であったが、諸般の事情により次回に残し、その代わり上七軒まで帰って来、毎月夜中にタクシーの中からしか拝んだ事のない天神さん、北野天満宮に初めてちゃんとお参りする。


神社とは言いながら、鳥居の奥には立派な山門が聳え立っている。


白地に紫の松竹梅の暖簾が清々しい。


シンボルの梅はまだ莟ながら色づいている。



 

裏手へ回ると見事な金色(こんじき)の釣燈籠の数々が廊下伝いに下がっており、底を見ると大正四年寄進、三越呉服店の名が。
呉服商売は当時花形の、超メジャーなビジネスであったろう。末裔たる我々も、その遺鉢を継いで精進勉励して行かねばならぬと、胸に刻んで境内を後にしたのであった。
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