東奔西走十泊の旅 その三

明けて晦日となり、厄払いツアー二日目は昨年に続き伊勢神宮である。外宮に参った後、タクシーで内宮へ移動。今年はむーちゃんのツテで宮司さんに案内をしてもらう。


五十鈴川のせせらぎは今日も美しく、心洗われる様である。
宇治橋を渡る時、三枚目の板を踏むと縁起がいいとされている事について宮司さんに訪ねると、橋の左側の丁度その位置に大鳥居から数えて二つ目の擬宝珠があり、その中に橋の守り神である饗土橋姫神社のお札である「萬度麻(まんどぬさ)」が納められている所から、そういう風習が出来たのでしょうとの事。


正殿に参拝した後は応接間に通していただき、社紋である花菱の形の干菓子とともにお薄をいただく。
壁には平山郁夫画伯の絵が飾られている。
「私な、この人の絵なんや気色悪るうてアカンねん」
文化勲章受章、東京芸術大学学長を務めた画伯も、まーちゃんにかかったら形無しである。
時間となり、この日の目的たる厄除祈願の祈祷の為、神楽殿に入る。去年は外宮で三万円の祈祷料だったが、今年は本厄とあって一段アップし、五万円張り込む。宮司さんによると御神楽の曲数が増えるのだそうで、楽器や巫女の数は変わらないとの事。
流石に長かった。

今回の伊勢参りの白眉は、応接間でもお神楽でもなく、帰りがけに会った白馬だった。白眉の白馬。


我が名の一部である馬は私の一部である。
だから言うのじゃないが、流石に神宮の抱え馬だけの事はある。気品といい、賢そうな顔立ちといい、暴れん坊将軍の跨がっているスター馬とは違い、何処やらに物憂い翳りがある。
全身を撮ろうと試みたが、急に集まって来た見物に神経を尖らせて俄に動き回り出したので柱を真ん中にしてのショットとなった。しかし今見ると、怪我の功名と言うべきか、不思議な味のある、絵画的な構図である。

夕方には京都へ戻り、仕入れを一軒済ましてから上七軒へ。さしたる予定もなく、むーちゃんと二人で近所の串揚げ「お初」へ。


ここもまた京の隠れた名店の一つである。
黙っていてもその日の献立が順番に出される。




きんぴら、干し大根のおばんざいから始まり、大根の炊いたの、蚕豆などが続く。


今日のメインは串揚げではなく、葱をてんこ盛りにした鳥鍋であった。九条葱ならぬ上賀茂葱。
年季の入った火鉢を挟んでこれをつっつきながら、きれいどころも無しの男二人。
この、火鉢という物の温もり、囲んで撫でるという成り形は、ただ鍋を温めるだけのガスコンロなんぞとは違い、そのもの自体が存在感を持ち、生活の脇役ではありながら人間の便利の為だけに使い捨てられる消耗品ではない。それどころか人間に精神的安らぎさえ与える事の出来る、道具を超えた道具なのである。これを今に活かして電気火鉢とか考える人いないねえ。

ギャラリーがいたらなんぼでも喋りまくって場を盛り上げずにはいられない因果な我々だが、二人っきりとあっては寡黙この上ない。会話も途切れ途切れだが、「気のおけない」とはこういう事であり、親友などとは気恥ずかしいが、さりとて珍友、畏友、悪友、どれもあてはまらない。かろうじて相応しい言葉があるとするなら「盟友」という他あるまい。

実に、実にしみじみとした一夜であった。
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