東奔西走十泊の旅 その六

明けて四日は名古屋へ移動。
ごふく美馬の御得意様でもある萬屋中村時蔵丈一家が出演中の御園座夜の部を観劇。
終演後は梅枝萬太郎兄弟を誘って寿司をつまんだ後、行きつけのラウンジ「苑樹」さんへ。この店は一昨年御園座顔見世歌舞伎観劇の後、若手俳優を引き連れて食事に行った後、もう一杯行きますか?となって若手たちの泊まっているホテルの地下にあったところから訪れ、初対面ながらママと気が合い、いきなり「オススメの着物あったら見せて下さい」と話が進み、以後季節の折々に写メを送って着物や帯を買ってもらっているという奇特なお客様である。

土佐で男勝りの女性の事を「はちきん」と称ぶが、まさにこのママは「名古屋ハチキン」である。
初めて会った人間、しかも遠隔地の、さらに自分の居住地より田舎の呉服屋に着物を注文するなんて事は並の人間に出来る事ではない。旅先で商売気を出す私も私だが、何と言ってもこのママの太っ腹には感服する他は無い。
とは言え「縁」は拾う気のある人の前に落ちているし、「人惚れ」のしやすい人間に門戸は開かれている、というのも真実である。
名古屋の夜は「苑樹」で、とここで宣伝しておく。ただし会員制、美馬名を告げてご予約を。
明けて五日は昼の部観劇。偶然にもママと一緒の観劇日となり、幕間に昼食をともにする。
御園座へは高校時代からもう二十年以上通っているが、地下食堂階の中でも古参中の古参であるおでん屋「清富」には何故か入った事がなかった。ママに誘われて初訪問。

し、渋い、渋過ぎる。
何と言っても年季の入ったおでん鍋がこの店の象徴である。象徴と言えば象徴天皇であるが、そこに無くてはならぬもの、その中心、オヘソ。所存の臍を固めさす、まことに国の(大成駒!)、礎ぞや〜。という訳で、象徴天皇とは、付けも付けたりというべきである。


肌艶の良い美形のおかあさんが、おでんをテキパキと盛り付ける。聞けばこのおでん鍋はこの店の前から使っており、少なくとも六十年は経っているとの事。端っこの酒燗器部もちゃんと機能していて現役バリバリである。


おまかせの後二品ほど追加を頼む。江戸前(関東風と江戸前は違う)とは違い、しっかり醤油味の染みたもので酒が欲しくなるが、芝居で寝てしまうといけないので我慢する。

茶飯は私には味が薄く感じられた。隣の席で食べていた女性客の物とは明らかに色が違い?と思ったが、深く詮索せずに店を後にする。
芝居のおでん屋と言えば今は無き中座のおでん屋「龍美」が秀逸であった。藤山寛美が愛してやまなかった名店であり、たしか劇場外部からも入れる作りになっていた様に記憶する。小さなカウンターに客が肩を寄せ合って飲み食いする雰囲気は何とも猥雑で良かった。中座という芝居小屋の空気を知っているという事は財産でもあり、今の劇場が味気無く感じるという意味では辛い事でもある。

そしてもう一軒は改装前の新橋演舞場の三階にあった「かっぱや」である。ここには随分通った。山田(五十鈴)先生や杉村(春子)先生の出演月など同じ芝居を三階席で何度も観るので、食べ飽きない味のおでんは定番だった。食欲旺盛な頃であり、おでんも茶飯も必ずおかわりした。
この店の看板は佐藤さんという老職人と予約、配膳を一手に引き受ける「おねえさん」であったが、いかにも好好爺然とした佐藤さんを「ちょっとおじさん!」と呼ぶおねえさんは、耳の遠い佐藤さんにイラッと来るのか、客から見ても冷淡な扱いであった。このおねえさんは、年は間違いなく七十近かったが、年齢不相応な茶髪で短いスカートを穿き、雰囲気はゴーゴーを踊り出しそうなヤマンバ系ギャル婆であった。
接客も突っ慳貪で、私などはさんざ通って常連になったので「いけず」をされる事もなかったが、所謂「不機嫌店員」の典型みたいな人だった。
私は長い間、佐藤さんはあまりの腰の低さゆえ主人ではなく従業員だと思っていたが、閉店の時新聞記事になり、その時初めて大将だった事を知った。して見ると、大将をおじさん呼ばわりしていたあのおねえさんは、ただの従業員ではあるまい。さりとて夫婦とも思えない。では親類か?演舞場の古い人に聞けばおそらく判明するだろうが、「知らぬが花」にしておこう。
「かっぱや」は平成17年の改装を待たずに暖簾を下ろし、改装後おでんとそばは合体して二階に下り「かべす」として新装なったが、そこには二人の姿は無く、目の前のおでん鍋を見て追加を注文する楽しみも失われた。
そもそも劇場という空間は色んな物がごちゃごちゃ並んでいるのが魅力であって、言わば大型スーパーでなく商店街でなければならない。蕎麦屋とおでん屋が一緒くたなんてのは論外なのである。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、「かっぱや」の二人を思い出す度、「味がある」という価値観を重んじない当世が生き辛く感じるのは如何ともし難いのである。

六日はその演舞場で「六代目中村勘九郎襲名公演」を昼夜観劇。


ロビーにはご贔屓筋から贈られた「祝い絵馬」なる物が飾られていて壮観。


真ん中の鶴、鯛、打出の小槌を型取った白い飾りは和紙で出来ており(昔高知ではこれにそっくりの砂糖菓子を婚礼の引出物に配ったが最近とんと見掛けない)、白紙で挑むという新勘九郎の心かと思わせる清新さが好もしい。解説を見ると勘亭流の文字の黒、家紋の柿茶、和紙の白で中村座の定式幕の三色を表したとの事、知恵者がいたものである。


昼の部の「土蜘」で吉右衛門と勘三郎が絡んで極った時、不覚にも涙が零れた。そして夜の「鈴ヶ森」。久方ぶりの本格共演は「これぞ大歌舞伎」と言うべき物で、私もいささか興奮しゾクゾクしながら観た。二人の共演を実現させた新勘九郎に拍手を送るとともに、最低でも年に一回、二人の共演をと切に願う。

実力の拮抗する者同士が火花を散らさなければ芝居は面白くならない。当たり前過ぎるほど分かり切った事である。

歌舞伎であれ、おでん屋であれ、名コンビあればこそ。
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