鴨の宿

世に名店数有る中にも「鄙にはまれな」という類の店が私は好きである。
大都会で今を時めく店、と言うのは味も何も分からぬその時々の有象無象によって成り立っているのであり、流行れば廃る「浮草」の様なものである。

突然だが、小津の「浮草」はいいねえ。たまらんね。杉村、鴈治郎、京マチ子。若尾に川口、三井弘次に高橋とよ!
淀川先生で言うなら「いいですねー。昔の郵便局の感じ、とってもとっても出てますねー」
切ないからいいのであり、「負」の無い人生なんて木偶の棒である。

「サヨナラだけが人生だ」

アンチエイジング、健康オタク真っ盛りの日本人は、こういうシャシンを観て少し自分を見つめ直すといい。

お話変わって鄙には希な名店の話。
以前「日本の宿」とか言う本で各地の名旅館を紹介する中に、言わば番外篇の様な形で巻末に何軒かの鄙びた宿が載っていた。中でも琵琶湖畔の「丁子屋」という、何の飾り気もない古びた宿に、私はひどく心魅かれた。
一度行ってみたい。そう心に刻んではいたが、誘う人とて無く忘却の彼方へ消え去り兼ねなかったところへ、持つべきものは妓なりけり、梅嘉ちゃんからある時メールが入った。

「今日はジビエ好きの仲間が集まって近江今津の丁子屋さんへ鴨すき食べに行って来ま〜す」

「丁子屋?丁子屋。丁子屋!?」

「もしかして、それってこんなこんな店ちゃう?」

「そやで。美馬さんなんで知ってんの?」

「あんた!なんで知ってる段かいな!私ゃ前からそこ行きとうて行きとうて!」

心は千々に乱れ、近日中に一緒に行く約束をしてその日は終わんぬ。
そして今日の初見参である。


薄曇りの中、京都駅から湖西線に乗って汽車にゆられること一時間。途中、龍がカッと口を開いた様な雲に出逢う。またしても吉兆か?


近江今津駅を降りてテクテク歩いて行くと信号が有り、梅嘉ちゃん曰く「雪國の信号は雪が積もるのでタテに並んでる。ほいで一番見えなあかん赤が一番上」
豆知識ゲットした後さらに歩いて行くと、少しは街らしい賑わいも有った駅前を離れ、段々と閑散とした風景となり、こんな所に京都からわざわざ食通が食べに来る名店が本当にあるのか?と思わせる静けさである。


つきあたりに琵琶湖が見える。昔の洋画家が写生したくなる様な、実にうら寂しい夕暮れである。しかも海辺と違い、潮の香りも波の音も無く、ただただフラットでニュートラルな空気がそこには広がっている。


ようやく到着。見覚えのある暖簾をくぐり、歴史を感じさせる土間を通って二階座敷へと案内される。部屋へ入ると窓辺には暮れ掛けた琵琶湖が我々の心とは真逆の平生さを保って豊かな水を湛えている。
泊りも出来る部屋とて、窓際には応接セット。湖を縁取る銀色のサッシが三百年の歴史の中にも昭和を感じさせ、「夢千代日記」を思い起こさせる。

「心中しに来るのに最高やなー、この感じ」
死んでも心中なんかする訳の無いメンバーは盛り上がる。
「ここはまだ死ぬとこちゃう、ここで死に切れんと、北陸行って死ぬんやがな!」
「やっぱり心中は日本海行かんと!」
言いたい放題である。

ちなみに「夢千代」の温泉芸者金魚は秋吉久美子畢生の当たり役であり、汽船会社社長宇崎を演じた小坂一也との名コンビは「どうしても死ななくてはならない」二人の道行、温もりを求めて彷徨する魂というものを切々と描いた極め付きのキャスティングである。


やがて料理が運ばれて来る。まずは「鯉の洗い」。全く臭み無し。


続いて「本モロコ」。かなり大ぶりであり、これは以前「比良山荘」で食べた物が数段美味だがこれはこれで野趣あふれる物であり、十分にこの家の看板になる一品である。


鮎の稚魚、氷魚の釜揚げの中に小さな海老がまじっている。小さくても海老は海老。何か目出度い気分になる。


次に鰻が出される。一人ふた切れで丁度良い。琵琶湖の養殖だがあっさりして、茶漬にしたらさぞ旨かろう物である。

いよいよ本日のハイライト。真打登場である。
「鴨」という食材は広く市中に出回っているが、そのほとんどが合鴨であり、真鴨に出逢う事は滅多に無い。まして洋食の世界では流通の発達によって高知の様な田舎でもシャラン産に代表される良品が口に上る様になったが、国産の野鴨はお目に掛かる事はまず無い代物である。


大皿に盛られた紅白の雄姿は圧巻である。
まずは鴨の骨から取った出汁に身の硬い部位を入れて炊き更に出汁を引く。


そして次に大量の葱を投じ、時間差攻撃で椎茸、豆腐を入れ、砂糖、醤油を熟練の仲居が目分量で迷わず投じた後、しばらく炊く。赤子泣いても蓋取るな。

頃合いを見計らって仲居が蓋を取る。香気満溢。朝から、否、昨夜からこれに備え、腹も口もセーブして望んだ我が食い意地の中枢神経が、頂点に達して切堰垂涎す。
まずは鴨の肉質のみを吟味し、次に葱とともに頬張る。
言葉にならない。

鴨好きの鴨知らず

という不名誉な称号を昨日までの己に冠する。
中でも仲居の目を盗み、梅嘉ちゃんおすすめのレアで食べた時の「ふぉんふぁんふぁん」という表記不能なモグモグは、実にこれ人間の食に対する渇望を久々に感じさせるものであった。

かくしてこの夜の会食は大満足で終わった。この家に掛かる白隠禅師や英一蝶の軸を見定める鑑識眼を私は持ち合わせぬが、間違い無くここは日本中でも数少ない本物であり、残っているのが奇跡の様な鄙の名店である。

のんびりしていたら列車の時間が迫っていたので慌てて出ようとすると、女将さんが「送ります!」と言って車を出してくれた。先代の跡を継ぎ、女手でこの名店を切り盛りするこの女将、只者ではない。人気の無い道をジャックバウアーよろしく物凄いハンドル捌きでかっ飛ばす。乗るなり私は脚元に違和感を感じたが、暗いし、カーチェイスだし、確かめる事が出来ない。駅に着いて見てみると袋入りのもやしであった。「ひや!お母さん、もやし踏んでしもた!」女将は慌ててもやしをひっつかんで「すみません!」と言っている。「こちらこそすんません!今晩のおかずやろ?」などと最後までキャーキャー言いつつ、互いに「ありがとうございました」と別れる。

発車するなり私は酔いから良い心地になり、横になって寝てしまった。芸妓とご飯食べに行った帰り、ローカル線にガタゴト揺られながらグーグーいびきをかいて寝るなんざ、なかなかいいもんである。遊びも修業であり、年季とともに芸が上がらないと駄目である。
お茶屋遊びの最終目的は自分が遊ぶのではなく、遊ばせる境地に達する事であり、一流の芸舞妓を楽しく遊ばす事が出来ればその人はどんな人をも虜にし、どんな仕事をも成功させるに違いないと、私は大真面目に考えているのである。

次回「丁子屋」訪問は桜鱒の時季にと決まった。今から実に楽しみである。


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