偏愛的女優論 第四章


また一人、名優が逝った。
淡島千景。

「そんな事が評価の第一か!」と思われようが、八十代後半まで「シャンとしていた」という事において、淡島千景以上の女優を私は知らない。
一昨年東京での朗読劇の折、楽屋でお目にかかったのが最期であったが、その時も実に溌剌としたもので、会話は明晰、顔の皺こそ増えたが「老化」などというものは微塵も感じさせない矍鑠ぶりだった。
四つ上の森(光子)さんの同年齢の時を思い浮かべ、明らかに淡島さんの方が衰えが無い、と思った。

幻の映画、豊田四郎監督の「おはん」。
吉永小百合版ではない。淡島のおはん、山田五十鈴のおかよという最高のキャストでクランクインまでしながら、池部良のあまりの関西弁の下手さに山田が堪忍袋の緒を切らし、お蔵入りの損害を山田が全部被って作品を下りたという伝説中の作品である。その真偽を淡島さんに確認したいと思い問うたが、淡島さんは「本当よ」と言うだけで、山田、池部双方のどちらの肩も持たなかった。
「淡島千景」とはそういう人であった、というのが女優論でなく人物論として、晩年実際に何度か拝眉を得た私の、唯一言い遺せる事であろう。

その後しばらく淡島山田の共演はなく、晩年の舞台までその機を待たねばならないが、山田の舞台生活五十周年記念「紅梅館おとせ」、代表作「香華」、そして再晩年の「戒老録」まで友好的関係を保っていた事を思えば、淡島が「自分の代表作を潰された」と考えていなかったのは明らかである。
そこが淡島千景なのだ、と言えばそうなのだが、当時山田五十鈴は映画界に於て「年増の踏ん張り」を見せている時代であり、人気は淡島の方が遥かに上回っていたのである。
しかし、関西生まれのしかもそれまで関西弁を使う相手役と言えば京都撮影所育ちの名優ばかりだった山田にとって、池部の関西弁は「あて、やってられんわ」という物であったに違いない。おそらくは淡島も「山田さんが言うのも無理ないわ」というスタンスであったものと推察する。

池部も、この件に付いては数ある著作の中でも一切触れていない。
しかし山田と池部はこれより前「現代人」という名作で共演しており、ともに演技賞を受けて代表作の一つに数えられている。が、このいきさつを知ったら「現代人」も普通には見られない。

それにしても惜しいのは淡島のおはんである。
同じ東宝で全ての経緯を知っていたであろう市川崑が、のちに吉永小百合で撮る事になる。
これはこれで傑作である。おかよの大原麗子も名演と言って良い。おまけに我が兵ちゃんも、関西弁は全然喋れていないが、あの男を演じて当時他に誰がいたか?と言わざるを得ない出色の演技である。

私はこのシャシンを高校時代から愛していた。しかし、淡島山田版があったと知ってから、急に色褪せたのは致し方ない事実である。

山田と大原の演技は大きさの違いは有ってもアプローチの仕方は同じである。
が、淡島と小百合の間には、およそ埋める事の出来ない開きがある。
それは何か?

小百合のおはんは観た者個人に、もっと言えば誰か一人の男に訴えかけてくる。
映画としてはそれが正しいのであり、近代的である。
しかし私の想像する淡島おはんはそうではない。
もっと宇野千代に近く、全世界の男を免罪する様な、まさしく菩薩ではなかったか?

一説によると、淡島のシーンは撮り終えていたと言う。
今ならお蔵入り名作選として垂涎の的だが、今のところポシャったシャシンの一部が世に出た例は無い。

性的描写も小百合版とは比べ物にならないくらい控え目であったであろうあの時代、文楽人形の醸し出す様な、嫋嫋たる色香を、淡島がどう表現したか?これはまさに日本映画ファンにとって永遠の幻であり、大いなる欠落なのである。

淡島と言えば「夫婦善哉」であり、森繁とのコンビがまず語られるが、私に言わせればちと違う。昭和映画最高の「男を立てる女優」淡島千景の代表作は「大番」であり、相手役の筆頭は加東大介である。大番の「おまき」は私にとってニッポンの女の理想形であり、何度見てもラムネソーダの様な、淡くも辛い恋慕を禁じ得ない。
この名作がDVD化される事を強く望む。

私は淡島を思う時、梅幸を思う。
七代目尾上梅幸。六世歌右衛門と戦後歌舞伎の女形の双璧として名を刻む人だが、歌右衛門の圧倒的なカリスマ性に対して控え目、行儀が良い、などと評され、事実その芸はサラサラしたものであった。
斯く言う私も歌右衛門の強烈なオーラによって歌舞伎への扉を開かれ、たまたま声帯が似ていたのか声色も好評を博し今日までメシの種にしているが、私は梅幸とも高知巡業の折、知遇を得、亡くなるまで楽屋へ出入りさせてもらった。梅幸には歌右衛門に無い明るさ、透明感が有り、私はそれが大好きだった。 主張し過ぎない芸、と言おうか。それが淡島に通じる。
現に二人は同じ役を演じている。大佛次郎作「江戸の夕映」の芸者おりき。
伝法で情があり、物事に恬淡。そして器量は涼やか。まさに淡島と梅幸にうってつけである。

ともすると歌右衛門型の圧倒的オーラにしか感じない人が多いが、それだけでは役者狂いの道の半分も知った事にはならない。
淡島や梅幸の魅力は、牡丹や薔薇のそれではなく、あえて言うなら藤か菖蒲の味である。
赤い花ではなく青い花。ユイスマンス。
にごりえの淡島などは水仙と評するのが相応しいやも知れぬ。

「女」というものの一面を鮮やかに描いて戦後を駆け抜けた名女優、淡島千景。
その世間的評価は決して妥当ではない。
それこそが、芸術に於ける我が民族の後退であり、戦後日本人の未熟であると私は確信しているのである。

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