ちょっとええ話 第3話

この稿前回より続く

あくる日は朝から一日茶会であった。私は立礼席のお運び担当で、八百人からのお客様に薄茶を一碗づつ差し上げる。途中一時間ほど席回りに抜けたが、それでも正味六時間の立ち仕事で、流石に足が棒である。しかし皆が一致して数時間、張り詰めた空気の中で働くと言う事は、体育会系ではない私には合宿の様な新鮮さがあり、心地よい疲労感であった。
仕事の忙しさから、折角始めた稽古も十年以上も休み、青年部活動にもほとんど参加しなかったのが今さら悔やまれる。
夕方になり、懇親会の会場へ着くとK夫妻が無事美馬旅館へ到着したとの知らせ。安心して飲みにかかる。とは言いながら、お客様にはビール片手に挨拶、その合間には五日後に迫った伝統芸能の夕べのチケットも売り込まなくてはならない。「いそしい」と言う土佐弁は私の為にある言葉ではないか?と我ながら思う。

無事宴会も終わり、家元をお見送りしてから旅館に電話をかけてみる。K夫妻は機嫌よく寛いで、間もなく夕食が終わると言う。かわってもらうと夫人はボロ旅館を大層気に入ってくれたと見え、「主人と二人で間違いなくこの旅中最高だよねって言ってます」とのこと。
私はこう見えて、自分のした事が本当に人に喜ばれているかどうか、自信の持てないところがあり、あんな風に強引に誘ったものの、一生に一度の新婚旅行を勝手にいじって良かったかしらん?と、不安に思っていたので、その言葉にいたく安堵した。いや、これも又、出来過ぎたK夫妻の心遣いかも知れないと思いつつ。
しかし、酒も入っており、茶会の初日が終わった開放感も手伝って又もや気が大きくなり「明日も泊まったら?明日はわたしそっちへ帰るし」と言いながら話し、普段は絶対歩かない距離を歩いて店まで戻った。

翌朝家内から連絡があり「今日も泊まってくれるそうです」との知らせ。これでもう疑いは無くなった。K夫妻は本当に私の気持ちを受け止めてくれている。

茶会二日目は商店街で道行く人に一服差し上げる「ふれあい茶会」である。
統率の取れた初日の茶席と違い、次から次へと入れ替わり立ち替わるお客様を捌くのは目まぐるしく、言わばマニュアルの通用しない戦場であり、どちらかと言うと私の得意なパターンである。こういう場面は大奥の女中では勤まらない。料亭の仲居頭の出番である。
七百人ほどの来席で終盤にはお菓子が足りなくなるほどの盛況で二日目も無事終わり、袴を外して黒の羽織を引っ掛け、上得意のお義母様のお通夜におまいりしてから一路窪川へ。

駐車場に着くと、測った様にピタリとK夫妻の赤いワーゲンが帰って来る。「七時を目指して帰ります」と私がメールしてあったのにぴったり合わした絶妙の呼吸(イキ)である。
おととい別れたばっかりなのに何故かお互いに「お久しぶりです!」と言ってしまう。どんだけ逢いたかったのだろう?

部屋へ上がると「何だか落ち着いてしまって、朝ご飯食べた後二度寝して、起きるなり足摺岬は諦めて四万十市へ行って来ました」と今日の報告。自転車を積んで来ている二人は佐田の沈下橋などをサイクリングし、いい写真も撮れたらしい。
先に風呂へ入ってもらい「勇作さんも是非一緒に」と言ってくれるので、夕飯をともにする。二人の詳しい馴初めなどを聞きながら、ビール、日本酒、ワイン、焼酎と盃はめぐる。

二人は出逢った初め、お互いを全く好みではなく、意識もしてなかったそうである。
むしろK先生は「すっぴんで色気の無い女」、S子ちゃんは「この若い医者、テンパってるけど大丈夫か?」と思っていたらしい。ましてや状況が状況である。電信柱のてっぺんに赤いランドセルが引っ掛かっているのを目の当たりにする被災地での医療ボランティアという修羅場で、恋愛感情が封じ込められたとしても不思議は無い。
ところが、ボランティアの期間が終わりそれぞれの職場へ戻ってからしばらくして、K先生の胸に突如として一人の女の残像が鮮やかに浮かび上がる。全然「その気」も無く、名前さえ聞いておかなかったあの子の事が今になって何故?あーとーのー、祭りよー(お嬢降臨)

唯一の手がかりはボランティア全員が付けていたゼッケンの番号である。個人情報の扱いに対して異常にうるさい今日、問い合わせても辿り着けない方が当たり前であろう。
しかしK先生はとうとう探し当てた。おのれの一生の道連れを。

その頃S子の胸中はどうであったか?
これが不思議や不思議、全く同じ胸の内だったのである。
まるで落語の「崇徳院」を聞く様であった。

「われても末に 逢わんとぞ思う」

二人は結ばれた。「命」が絵空事ではなく現実に、根こそぎ持って行かれた場所で出逢い、その場所に踏みとどまって必死に生きる人達を支える事によって、自分たちでも気付かないくらいの大きな成長をし、その経験が、鉄が冷めるが如くモノになって行く精神的醸成の中ではっきりと、互いの生涯の伴侶を見定めたのである。
そして天はそれに味方した。
私はこんな夫婦と友人になれた事を誇りに思う。森繁節ならぬ美馬節で「やっぱり見る目あるもねー」と言わしていただく。

昨日の講演で坐忘斎御家元が、「フェイスブックやツィーターは人間関係を築く為の補助的手段でしかない」とおっしゃり又、「インターネットで自分の都合のいい様に取り出した知識は絶対身に付かない」とも話された。そして、近頃は青年会議所の中でも先輩の誘いを断る後輩がいるという話を聞くが、私なんかには考えられない、という例を出されて「人というものはじっくり付き合って見ないと本当の良さも欠点も分かるものではない」「現代人は安直に答えを求め過ぎてはないか?」と言う意味の事をおっしゃられた。
全くその通りであり、私は膝を打ちまくった。
「僕はやってますよー!」と叫びたいくらい我が意を得たお話であった。

出来ない昔には帰れない。が、機械に使われてしまってはお終いである。と、この駄文をアイパッドで綴りながら、人に言うのではない、私は自分に言い聞かせているのである。

翌日、再会を固く誓って別れたK夫妻からメールが来た。
「今日は愛媛の大島まで来てみました。いい民宿で魚も美味しいのですが、何だか寂しくて心がざわついて、とりあえず美馬旅館に帰りたいと二人で話してます」

もう、ここまで言われたら「旅館冥利」否、「人間冥利」である。

しかしいつまでも後戻りはしてはいられない。
「サヨナラダケガジンセイダ」

しかし初めての夜、妻は夫に言った。
「美馬さんに留袖見立ててもらおうか?」
私も「よっしゃ!まかいちょき!」と言うた。
この約束は必ず果たされるであろう。

時あたかも彼岸である。
淡島千景の稲葉家お孝は啖呵を切る。
「春で朧でご縁日、これで出来なきゃ世は闇だわ!」




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