釣りはいらねえよ!

昨日のテレビ番組で阿部寛が大雪の日にタクシーに乗った時のエピソードを話すのを聞いていて、私は非常に失望した。
何故なら、阿部はその大雪の中、俳優仲間の勝村政信を自宅前まで送って行き、その途中の坂で立往生して運転手と一緒に車を押した、と言うのであるが、最後に「でも金はちゃんと取られました」と宣うたのである。

私は最初、本来の運賃と別に、いわば手間賃を請求されて払ったかの様に聞いていたが、何の事はない、ただ単にメーター通りの料金を払っただけらしい。しかし阿部や司会の藤木、森のリアクションを聞いていると、どうやらそういう場合は運転手の側から「料金は結構です」と言うのが当然、と言わんばかりの論調なのである。正規料金を払わされたと言う阿部に対して森泉は「ひどいー」と援護し、会場(仕込みのねえちゃんたち)も同調の声を上げた。

ひどいのはどっちか?

断っておくが、私は阿部寛の大の贔屓である。モデル時代はどうと言う事もない大男だったが、大河ドラマ「義経」の平知盛役で勇壮な武者ぶりを演じて以来瞠目し、さらに先年、シアターコクーンで上演された九時間の大芝居を観た時、この優の、小手先の技巧を凌駕する野性的演技の描線の太さ、観客を引き込んで一大叙情詩を一気に見せ切る剛腕さに惚れ惚れし、今の時代に稀有な俳優、と他人にも吹聴して来た。

それがかの発言である。はっきり言って見損なった。がっかりである。

大雪の日に、何はともあれ家まで連れて帰ってくれるタクシーがあった事さえ有難い事なのに、急な坂道の上か下か知らないが、兎に角足場の悪い所へ車をやったのだから、そこでスリップしたら一緒になって車を押すのは当たり前の事であり、あまつさえ料金について文句を言うなどと言うのはとんでもないお門違いである。(ちなみに「とんでもございません」と言う言葉は山本富士子が生み出した昭和の新語である)
私なら、いや芸能人なら、難儀な道中をともにした運ちゃんに対し、労いの言葉をかけ、祝儀を取らす(チップを渡す)のが本当ではないか?

仮にこの話が、番組の中のノリで運転手を悪者にした方が面白い、と言う見地からの脚色だったとしても(私は実は阿部は余分に金を払ったのではないか、又そうであって欲しいと思っている)、そういう言い分を公共の電波に乗せて全国に流すと言う事が私には信じ難いのである。 昨今では二枚目俳優でもバラエティ番組でドジで三枚目な面を見せないとテレビの客にウケないと言う事務所の方針ゆえか、誰も彼も二枚目の看板を捨てて「笑われて」平気である。が、金の切れ離れだけは別に願いたい。
勝新、寛美の真似をしろとは言わないが、人気稼業の役者渡世がこんな話をして自分のイメージダウンになると考えない、また会場の一般人(その背後にいる同感覚の視聴者)がそれに対して反感を持たない世の中になってしまった事が驚きである。

古師山本夏彦翁は日本人はチップの渡し方が下手であると言った。チップで出すべきところをサービス料その他で漏れなく取るから個人が頑張らない、やり甲斐を感じられない。著しきは個人がもらったチップを取り上げて全員で分けると言う悪平等である。
私はチップをやる習慣がないからいつまで経っても日本人のサービス業の質が上がらないと確信している。追い足しを遣るどころか払った料金以上の事を求め過ぎる、または安かろうが何だろうが「金を払っているのだから安全が保証されて当たり前」と無邪気に思い込み、疑う事を知らない結果が、先のユッケ事件であり、昨日の高速バス事故とも無関係では無いのである。

そう言えば暴行事件の夜、タクシーを血まみれに汚した某優は、運転手にチップ(と言うより当然の迷惑料)をやるどころか、数百円を値切ったと言う。
阿部ちゃんをそれと一つにしてはあんまりだが、「男の美学」と言うものが今日まだ存在するとするならば、あまりにもお粗末な、風上にも置けぬ話である。

私はこんな人間だが、感じのいい運転手や店員にチップをやるのは大好きである。
何故なら、自分の気に入った店、人をダイレクトに評価出来る、こんな愉快な事は他に無いのだから。ただしこれにも年季が要る。若い時分は気持ちはあっても偉そうな気がしてなかなかうまく出せない。
恩着せがましくなく、スマートに祝儀が渡せる様になったら、男もまず一人前である。
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