名を襲う

桂三枝といえば私にとっては「パンチでデート」であり、「新婚さんいらっしゃい」であり「ゴルフ夜明け前」であるが、その三枝が師匠の名跡「桂文枝」を襲うという。
先代の総領弟子として、また上方落語協会の長としてまず順当の様だが、私にはやはりしっくり来ない。

その一番の理由は三枝が高座では「文枝」、テレビでは「三枝」を使い分けると言うダブルスタンダードゆえである。誰が考えても潔くない。
お家事情などは一向に知らぬが、私は弟弟子の文珍が文枝を継ぎ、三枝は一代で築き上げた三枝の名を、より大きな名前にして全うする方が本当だと思うが違うだろうか?
漏れ聞くところによると、文珍は不遜な態度が仲間うちで頗る悪評だと言う。それは顔に、特に笑顔に出ている。が、私は文珍を認める。その細い感覚の才に於いて。

また三枝の人望は確たるものだとも聞く。「いらっしゃーい」そのままに。
ともに才気溢れる人の、「あにおとうと」の有り様は難しかろうが、私の視点は「おさまり」の一点である。
文珍に文枝を継がせ、大名跡に相応な仕切りをさせ、三枝は別格として日本の話芸を背負う。
これが私の考える「おさまり」である。

三枝の襲名よりはるかに話題になっている香川照之の中車襲名、これもやはり解せない。
今の仁左衛門も長く本名の片岡孝夫を名乗っていたのであり、別に香川の名前で歌舞伎に出られぬ訳では無い。むしろ、少しでも歌舞伎の舞台に立ち、観客に受け入れられた後、市川姓を名乗った方が良かったのではないか?
香川の長男は猿之助の孫である事に違いなく、彼のみ団子で初舞台でも良かった筈である。

可哀相なのは亀治郎である。襲名のメインは亀治郎改め猿之助なのに、スポーツ紙には香川中車の文字ばかりが躍っている。
あんなに人気のある亀治郎でさえ、親子断絶の物語付きの香川には「話題性」の点で吹き飛ばされるのである。物見高い大衆の為せる業とは言いながら、やはり虚しさを覚えざるを得ない。
知盛が「見るべきほどの事は見つ」と言った「見るべき」ものを、一生見ないで終わる人々が、この世を陣取って居るのである。

とは言いつつも、私も襲名公演のチケットは予約済みである。食わず嫌いで一度も観ずに来たスーパー歌舞伎を、ついに観る事になる。
さて、どうなるか?
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