HIDEJI


夏に舞台降板のニュースを聞いてから、ずっと気になってはいたが、やはり癌であった。
現代日本に於いて名優と呼ぶに値する数少ない一人、大滝秀治身罷る。

聞けば前夜も自宅で焼売を肴に一杯やり、あくる日家族に看取られての最期だったと言う。享年八十七。若くして結核を患い生死を彷徨った事を考えれば、天はこの人に特段の執行猶予を与えたと言わねばならない。大往生である。
しかも最後の映画で高倉健に絶賛され、その評価が頂点に達したタイミングでの訃報。スポーツ紙の扱いは森繁並みの大きさであり、脇役としては異例。まさに死に時を得たとしか言う他は無い。

しかしこの人の役者人生は最後まで壮絶な苦闘の日々であった。
スタートから宇野重吉、滝沢修の両巨匠に俳優としての才能に疑問符を付けられ、同期の奈良岡朋子が早くから見出されたのに対し、永く不遇であった。

今でこそ大滝は存在感ある個性派の代表として確固たる地位を築いたが、その時分には一癖も二癖もある名優がいくらもいて、脇役界は群雄割拠、なかなかどうして簡単には浮かび上がれない。
しかし、石の上にも三年じゃないが、四十五で滝沢の相手役を勤めた舞台「審判」の演技が評価され、五十を過ぎた頃から名だたる大監督の指名を受けて、日本映画の話題作の常連となって行く。

「華麗なる一族」「不毛地帯」「金環食」の山本薩夫三部作、「犬神家の一族」からなる市川崑監督の金田一シリーズ全六作(全作出演は石坂浩二と加藤武の他は大滝と草笛光子のみ)、そして数々の伊丹十三作品。

そしてここ二十年は宇野、滝沢に代わって劇団の看板俳優として多くの主演舞台を踏み、奈良岡と同格の「民藝の顔」となった。

最近では大滝を敬愛する関根勤のモノマネで世間に広く名が知られ、テレビCMでも人気を博す様な「メジャーな人」になったが、私が高校生の頃、大滝さんの名前を正確に読める人は稀で、たいがい「おおたきしゅうじ」とよんでいた。その頃私が勝手に決めていた「皆が間違って覚えている俳優ベスト3」と言うのがあって、中条静夫(ちゅうじょう)、常田富士男(ときた)、そして大滝秀治(ひでじ)であった。大人が間違って言うと、ここぞとばかり訂正したものである。厭味なガキ。

九十代まで現役で棒を振っていた朝比奈隆が晩年よく「長生きも芸のうち」と言ってインタビューの中の笑わせどころとしていたが、役者も結句、長生きしない事には「いぶし銀」の味を出す事は出来ず、何より長生きすればライバルが死んで居なくなってくれるのである。

大滝と同年代の役者で、生きていれば大滝に負けず劣らずの名優になっていた者が、間違いなく、幾足かいる。大滝はそのサバイバルに勝った。

つまり大滝は、「平成の笠智衆」になったのである。

どんなに映像分野で評価されても、大滝はやはり舞台が一番やりたかっただろうし、その執念は最後まで衰えることなく燃えたぎっていた。昨年放送されたドキュメンタリーの中でも、ずっと年の若い演出家が、融和的な、民主的な(話合い的な)稽古をするのに飽き足らず、激しく不満を表し、「もっと強く、激しく、俺の事もバシバシ否定しろ!」と言って引かない姿は、壮絶でさえあった。

大滝の体に染み込んでいる「演劇的基礎」(この荷物はこれ位の重さだからこんな風に軽々と持てる筈はない、とか、この人間はこういう人間だからこの場面でこんな向きをする訳はない、という、つまりリアリズムの王道)が全く身に付いていない者たちへの苛立ち。

外国から輸入され、昭和期に頂点を極めたリアリズム演劇を求道者的探究を以ってここまで這いずって来た役者一匹の、悲痛な叫びの様であった。

大滝は役作りについて聞かれた時「浸かる、浸る、耽る、籠める」と答えたという。
何度も書いた事だが、杉村春子は「もらった台詞がどうしても上手く言えない」と相談に来た後輩女優に「どんなセリフでも千回言ったら出来るわよ」と言った。
同工異曲である。

芝居も、ものづくりも、人付き合いも、全て安易に、お手軽になってしまった現代への、これは強烈なアンチテーゼである。

私の大滝秀治邦画三選を挙げるとするならば、大方の期待を裏切って「闇の狩人」「病院坂の首縊りの家」「あげまん」という事になる。
この三作を見れば、凄味、滑稽、人間の無様さ、という変幻自在の演技の有り様に於いて、この優が火だるまになり、泥雪を喰んで歩んだ「芝居の修羅道」の凄まじさに慄き、「演技の神(あるいは悪魔)」に捧げた人生に、直立不動の畏怖を禁じ得ない。

私はこの人に、千利休をやらせる企画がなかったことを惜しむ。天下人秀吉に対峙して一歩も引かず、野心と美学の混沌とした中に、ついぞ底の知れぬ「革命家利休」がそこには出現したであろう。けだし絶品であったと確信する。

と書きつつも、大滝さんが最後の最後に「人間の一体何が描きたかったのか?」それは永遠の謎である。肯定か?否定か?その何れでもない、煩悩そのものであったろうと、私は推察する。

ひばりの哀愁波止場じゃないが、今夜はあの声が耳に残って離れない。
「ここに、佐清くんの奉納手形がある筈だ、と言われまして」(大山神官)
「こりゃわしの字だーっ!」(加納巡査)

冥福を祈りつつ、すっかり足の遠のいた映画館へ遺作を観に、行こうと思う。
人間というものを、真剣に突き詰めたひとの、白鳥の歌を。


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