正月記2013 上の巻 墓参

何やら浮かぬ2012年もどうやら仕事納めを終え、例年通り大晦日から正月休みに入る。

とは言っても行事目白押しでひとつも休まりはしない。
まずは墓参りから。うちの墓は山の上にあって年々坂を登るのに息が切れる。掃除は家人が粗方済ましてあったので、少しばかりの草をむしり、木の葉を拾い、水をあげて線香を焚いて、今年一年のもろもろを報告しつつ、来る年の平安を拝んで手を合わせる。

三十分足らずであっけなく終わったので子供と一緒に墓巡りと出掛ける事にする。
この墓地には親戚、友人、知人の墓が数知れず。日頃の無沙汰を詫びつつ、造成されていぬ「山なり」の地形を上がったり降りたり、かなりの運動である。


昔はつながっていた場所が、参る人無く道が消えていたりして、すんなり辿り着けぬのも探検気分を醸し出してくれる。
正月前とて墓守のいる家の敷地はきれいに掃き清められ、花が手向けられているが、生い茂る樹々に埋れて無縁仏の哀れを見せているものもある。
墓石も、出来たてピカピカの豪奢な物から、墓碑銘も判別出来ぬほど風雪にさらされた物、又その地べたも、草の生えぬよう砂利を敷いたのやら果てはコンクリートで塗り固めたのまで、実に様々。人生いろいろ、お墓も色々。まこと「墓場」はこの世の縮図である。


すでに美馬イズムを内包している息子と共に「こんなキンキラした墓、妙に嫌ねえ」とか「これほど塗り固めたら仏さん息出来んで」とか「ここは陽が当たらんき冷やいろうねえ」はたまた「雪本さんち高知には珍しい名前やねえ」とか、出放題に他家の墓の品評をして回るのはなかなか愉快なものである。

中に、塀も囲いも無い一区画の、赤土そのままの上に寡黙に佇んでいた三基の墓が、この日の「お墓大賞」であった(Sさん勝手に撮影お許し下さい)。石は戦前の物であろう、大層時代が付いているが、昨日今日お参りがあったと見え、周りには塵一つ無く、控えめに活けられた花が真新しい。他家の墓ながら、実に好もしく、しみじみとした心になった。これぞ「にっぽんのお墓」である。


こんなお墓を見ると思わず「一本刀土俵入り」の茂兵衛の台詞「そこはね、お墓さぁ」が口をついて出る。黒御簾の笛が切なく泣くところである。

いったん下まで降り、別の上がり口から他の区画を回る。良く外国映画に有る様な、整然と並ぶ画一的墓地でなく、山あり谷ありの、実に迷宮の様な、私にとってここはワンダーランドである。

「お父さん、ここも行けるで!」と探検心を発揮し始めた息子につられ、今まで足を踏み入れた事のない領域まで進む。

私は小中の遠足の時、群れを離れてひとり山道をぐんぐん探索して登って行くのが好きであった。
「この先がどうなっているのか?」と思うと確かめずにはいられない性格であり、だんだん集団から離れて行くのが怖くもあり又、妙に快感でもあった。
あの時私は何を探し、求めていたのだろう?クロサワの「七人の侍」の、木村功と津島恵子が愛を囁く一面の花畑か?それとも「蜘蛛巣城」の妖婆(浪花先生!)の出現か?

いずれにしても「少年の夢」は今なお覚めてはいない。そんな調子だからバスに戻って来るのはいつもギリギリ。こんな人にはツアーの海外旅行は無理である。

次に惹かれたのが、この墓地には珍しい屋根付きの墓石が独りひね者のごとく建つ脇に、まるで番人の様な大きな樹が、すっかり葉を落として聳える一景である。私はこの墓を見た時即座に「大菩薩峠」を思い出した。ここに薄闇の中、机龍之介(雷蔵でなく千恵蔵)を立たせたら、さぞかし絵になるだろうと。
バックにはもちろん怪しげな赤紫の明かりとスモークが漂っていなくてはならない。


ロケハンじゃないんだから!と呟きながら次々と墓を巡る。
三つ目の山では草叢に怪しげな青い花の群生を見つけ「この真冬に何の花?青い花、ユイスマンス!春平!新種発見かも知れん!」と小躍りし、探って見れば何の事はない、廃棄されし造花(花輪の一部)で、「何だー」と親子で笑いころげ「ある訳ないわねえ」とすぐ素に戻る可笑しさ。

まこと、一つ事をいたしても、真っ直ぐに行きつ戻りつするだけでは、この様な愉しみは無い。寄り道こそ我が人生、道草喰ってナンボの世過ぎである。つくづく退屈しない人間だなあ、と呆れながら、この珍父の酔狂に付き合って満更でもない風の我が子に「頼もしさ」を感じつつ、家路についたのであった。

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