斃れし人

アルジェリア、などと言う世界情勢にも地理にも疎い私の様な人間には何所に有るかさえ知らぬ土地で起きた事件が、己に寸分でも関係していようとは、夢にだに思わぬ事であった。

発生後まず、かの会社に勤める同級生Tの事が真っ先に浮かび、次いで東京のお得意様であるAさんの御主人が浮かんだ。
即座にTの携帯にメールを打つとややあって返信があり、日本にいて無事とのこと。
これで安心してしまい、Aさんは重役であり、よもや現地には行ってないだろう、むしろ本社にいて事態の収拾にあたっているだろうとたかをくくっていた。

これが大誤算であった。

東京出張中は新聞もテレビも見ずに過ごす私の芝居の幕間に、Aさんの奥様を紹介してくれた方からメールが入っていた。

「Aさんの御主人がアルジェリアの事件に巻き込まれて亡くなりました」

最後まで身元確認が出来ず、26日にやっと民間機で帰還した前副社長であり最高顧問のAさんその人であった。

たびたび歌舞伎観劇の劇場ロビーでもお目に掛かり、私の東京展にも御夫妻でお越し下さった。時蔵丈の紫綬褒章のパーティの後では帝国ホテルのバーでお酒も御一緒した。
その時、「僕らの仕事は命がけだから」と言う意味の事をおっしゃった。
その瞬間、紛争も珍しくない途上国を現場とする企業人の、経験から来る重みと凄味を感じたが、それは、どこまでも「比喩」でなければならなかったはずである。

Aさんは本当に「命」を懸けてしまった。

しかも、やっと会社からお許しが出て現役を引退し、夫婦水入らずの平穏な日々を手に入れる安らぎを目前に。

買い物をしてもらった時も、世界を相手にしている貫禄と、とつくに人との難儀な交渉をいやと言うほど積み重ねて来た迫力の片鱗に触れた。

あの人が、あのAさんが。

「企業戦士」というものが、絵空事ではなく、日本を支えて来た事実を、我々は忘れてはならない。

知らせを聞いて後の芝居は心そこになく、虚ろであった。

目前では今を時めく役者たちが、懸命に舞台を勤めている。

私は何を見ているのか分からない様な混乱の中で、これも「生」、Aさんの死もまた「生」の在り方に違いなく、無常とはこれかと悼みつつ、我が行く先にも疑いなき信念の様なものが湧いて来るのを抑える事が出来なかったのである。

月並み極まりないが、人は、それぞれの立場で「懸命に」生きなくてはならない、それ以外に、人間のなすべき事はないと。
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