鄙にはまれな

過日、お客様と連れ立って毎年恒例のこんぴら歌舞伎見物に出掛けた。いつもは自分で運転して行くので、帰りは高知へ帰ってから食事になるのだが、たまには香川で何か食べて帰ろうと、この日はジャンボタクシーを貸し切り、「飲んじゃりましょう」の構え。

いつも仕入れで御一緒する高松の呉服屋さんの紹介で、丸亀市の「永楽亭」を初めて訪う。

高知の田舎者が「鄙には」というのも烏滸がましいが、県庁所在地でもない街の、しかも住宅街の真ん中にある立地からは「こんな所に本当にうまい会席を食わせる店が?」と訝しまざるを得ない。がしかし、そこは信頼のおける業界の兄貴分のお墨付きである。

看板も行燈も提灯も何も無い、秘密クラブの如き店構え。ナビが無ければ到底辿り着けぬが、運転手氏は事も無げに「ここだと思います」と「黒板塀に見越しの松」ならぬ黒板壁のスタイリッシュな一軒家の前で車を停めた。


通路の奥に見える障子をそろりと開けると、紛う事なき「永楽亭」の扁額。

ホッとしつつ声を掛けると、和服に身を包んだ女将が現れた。品の良い顔立ち、控え目な物腰は「ハチキンの国」土佐はおろか、京の都にもごまんとは居ぬ風情の麗人である。
この瞬間、「今宵の宴は大成功」と確信する。

ひと品目から、かなりうるさ型の連客を「ほーっ」と唸らせるセンスと切れ味を見せる。まこと「突き出し」と言えばゾンザイだが、とてもゾンザイには扱えぬのが会席に於ける「先付」である。その店の料理観、食材のレベルを示し、これから始まる晩餐のファンファーレを鳴らす役目として、それは「ヒジョーに(此の所古館弁護士の口調で)」重要である。
松王丸ならずとも、「おろそかには」いたされぬ。


「ホタテとこごみ、編笠茸に枇杷のジュレがけ」
ハシリを食べる喜びはもちろんだが、各食材がうまく纏まっていて、ただの物珍しさに終わっていない。これでホタテがもう少しレアなら言う事は無い。


「桜鯛のお造り」
瀬戸内は鯛の本場だが、造りとなれば庖丁の冴え次第。誰が切っても旨い訳ではない。火襷の皿に盛られた身は艶のある美体に違わぬ美味であった。


会席のハイライト、椀物。
「ホタテの真薯椀」
これを食う為に会席を食うのだ。汁もの命。出汁の加減、温度、ともに頃合いで美味い。
時代らしい貝尽しの椀も時季に合って結構。


焼物は「アイナメと筍の花山椒焼」
アイナメは私が此の世でもっとも好む椀種だが、焼物も風趣がある。


続いて「生このこと片栗のおひたし」
昨今の山菜ブームで今まで見向きもしなかった野の草に注目が集まっているが、この片栗というやつは「正味」美味いものである。山葵の葉っぱ青々しさも目にご馳走である。


蒸し物は「わらび蒸し」。
つくね芋と蕨に上品な餡かけ、たっぷりの山葵。

腹も段々くちくなって来たところで、いよいよここんちの売り物「鯛めし」の登場である。


土鍋の蓋を取ると山椒の香りがあたりに立ち込め、茶碗によそわれる前から「こりゃ一杯じゃ足らん!」という勢いの、垂涎メシである。
土佐の国なら青葱だが、ここの青みはセリである。しかしそれ以上に粉山椒の香りが引き立っている。たとえ京の有名店のものであっても、市販の品ではこの芳香は味わえない。


味噌椀がまた良い。ゴテゴテと盛り込まず、潔く針茗荷のみに限った具が、料理屋らしいスッキリ感を出して上々。味噌そのものも、お隣県でこんなにも違うか、というくらい、優しい味である。

かくしてこの夜の宴は高知流のドンチャン騒ぎではなく、静かに、しかし十分な余韻を湛えて、満足に終わった。
お客様もみな喜んでくれ、面目を施し、ご紹介下さった先輩に感謝。
最後に主が挨拶かたがた見送りに出る。料理人に有りがちなケレン味や尊大さを少しも感じさせぬ、女将と好一対の人柄である。これをこれで終わらせないのが美馬流。
すでに次回「ごふく美馬美食会」の構想は動き始めている。
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