奇店

まさしく奇なる店である。東京荻窪「四つ葉」
昨年初の訪問以来、京都の友人知人たちにそのユニークさを語り、一度一緒に行こうと話していたが、やっと今日実現。今度はここの会席をと思っていたのだが、十月末から年の瀬まではすっぽんのみの期間とて、三日の大市に続き、すっぽんコースと相成る。

ここのコースは最初に青森産の平目が細切りで出された後はすっぽん鍋のみである。この平目がぐびぐびして美味い。山葵とすだちが添えられる。「すだちは直接おしぼりにならず必ずお醤油の方にお願いいたします」と女将のガイドが幕を開ける。
やがてアルビノーニのアダージョに乗せて鍋が出る。おそらく日本広しと言えども、バロックを聴かせながらすっぽんを食わせる店はここの他にはあるまい。料理人の長谷川新(瞼の母は長谷川伸)さんは、日本の中世史とクラシックが専門で、女将曰く相当のオタクとか。

澄み切った透明のスープの中にすっぽんの各部位がたゆとうている。それを新ちゃん(女将がそう呼んでいる)がおもむろに皿に取り分ける。
「おもむろ」という言葉はほとんどの人が誤用していて、私も以前は「突然」という意味に解し、使っていた。何かのテレビか本で、「ゆっくりと」が正しい意味と知って以来、他人が間違って使う度に気になって仕方がない。
この新ちゃんの動作こそ、まさに「おもむろ」の手本であり、鍋の据え方、布巾の裁き方、電話の受話器の置き方まで「おもむろ」というのはこういう呼吸なのだ、と思い知らされる身のこなしである。

初めてこの店を訪れた時は、「大市」の濃厚さに慣れた私にはあまりにもスープが薄味すぎて面食らったが、二度目の今日は良く分かる。ここのスープは飲む為の物ではなく、保温と乾き防止の為のものであって、あくまで身の旨味を堪能するのが四つ葉流である。(そうは言いつつ、このスープに胡椒をパッパとかけて飲んだら、さぞかし美味かろう、と思ったりもする)。その身は「大市」のそれがトロトロなのに対して、しっかりと噛み応えのある筋肉質である。
一皿ごとに女将が肩胛骨、甲羅、顎、前足、後ろ足、など逐一部位と有効成分の説明をしてくれる。三人いれば三回きっちり説明する。この人はこれまでの一生で、一体何万回「不飽和脂肪酸」という言葉を口にして来たのだろう、と思ったりする。普通なら鬱陶しいところだが、この人の場合には最早一つの芸になっている。おん年七十五歳と聞いて驚く。どう見ても六十七、八である。
それぞれの部位ごとに、味、食感が違い、噛めば噛むほどジュワーっと旨味が口の中に染み出て来る。 今度は新ちゃんも加わって、鼈の骨格から生物学的見地まで加わったトークが展開され、進などは「化学の実験みたい!」 と喜んでいる。

そしていよいよ雑炊にかかる。一辺陶の土鍋の組成が料理科学的にいかにすぐれているか、という話を聞きながら、三段階に姿も味わいも変えて出される雑炊は、月見そば一つ食べてもまずはそのまま、やがて卵をちょっと壊してそばを黄身にくぐらせ、最後に汁ごと卵味にして食う私にとって、まさに我が意を得たりの供しかたである。どうも私は三段返し、三段論法などが好きなようで、やはり日本人は奇数を尊ぶ民族なのだ、と思う。
遅くからの入店ゆえ、貸し切り状態で存分に料理も会話も楽しんで荻窪を後にする。

食後の一杯とて、進行き付けの銀座のバーへ。以前の店は通りに面したこじんまりした店だったが、引っ越した新店は地下二階で少しゆったりしている。三島由紀夫邸を思い起こさせるヴィクトリア朝の白い天井や美馬旅館の玄関床そっくりの石壁は江戸川乱歩風でもあり、オスカーワイルド、レイモンラディゲの雰囲気を纏ったマスターにぴったりの空間である。
三杯ほど飲んで退散。荻窪から銀座へ帰って来ているのに、進とさと幸ちゃんにどうしても香妃園の鳥煮込みそばを食べさせたくて、またまた六本木へ遠征。お決まりの青菜炒め(二千四百円!)をまず注文する。菜っ葉をただ炒めただけのこの料理がなぜこの値段になるのか?それでも私はこの一皿を年に何度か食べないと気が済まない。油っこくなく、シャキシャキで、生姜とニンニクの他に何かもう一つ旨味が入っている。干し貝柱の出汁では?と長年睨んでいるが、一生確かめるつもりはない。知らぬが花。

春雨と挽き肉の煮込みに酢を掛け、舌鼓を打った後、いよいよ眼目の鳥煮込みである。


いつもながら絶妙な味。トロトロまでいかぬとろみのスープと、親鳥の歯ごたえ、青みのアクセント。そして何と言っても麺の煮込み具合である。
私はこと麺類に関してはバリバリの硬派である。ラーメンは言うに及ばず、そば、うどん、そうめん、パスタに至るまで、シコシコ至上主義者であり、茹で過ぎた麺なんて、犬の飯以下だ!と思っているクチである。が、この鳥煮込みだけは別。大袈裟に言うと、ぬちゃぬちゃした感じ。心にも体にも優しい麺である。白い麺が白濁のスープと相俟って、何とも言えぬ至福の食感。


二杯目はオリジナル豆板醤を溶きまぜ、さらに美味さ倍増。書いてる翌日の今現在、胃がクーッと鳴る恋しさ。私の十大食の一つである。

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