宴のあと
高校の文化祭の日、黒板に三島の名作のタイトルを刻んで盟友M・Iと二人うなだれて撮った写真がある。「宴のあと」ほど哀しく、ほろ苦いものはない。又の名を「さよならだけが人生だ」という。
一心に打ち込んで、無事しおおせた喜びのすぐ後に来る無常観。
男子諸君なら即座にがえんずるところであろう。
第二回ごふく美馬伝統芸能の夕べ。心配した雨にも降られず、寒さに備えたカイロも杞憂に終わった事は、まさに天恵、文殊菩薩のご威光である。おんかげさまの盛会であった。
もとより演者は一流であり、日本人であれば誰が聴いても魂揺れる音楽(そういえば三島には音楽という作もあった)である。
山登松和、善養寺恵介両師共に、技量も人間性も一級の「本物」であり、私の「着物であれ芸能であれ、本物を知らしめたい」というコンセプトに完璧に叶う一座建立であった。
選曲も完璧、お二人の魅力を余すところなく伝えられたと思う。幾人かの方から「お二人のお人柄が演奏に滲み出ていた」というお言葉をいただいた。私は司会、音響、案内係、お茶席のお運びと目まぐるしく、とても落ち着いて演奏に耳を傾けてはいられなかったが、客席でじっくり聴いたらさぞかし良かっただろうと思う。
そして今回は何と言っても舞台がいい。夢窓国師の手になる庭園が、一部は日の光の中で清々しく、休憩を挟んでだんだん暮れてライトアップされ、夢幻の趣で浮かび上がる構成は大成功であった。
竹林寺は高知の宝であり、公共ホールでは決して味わう事の出来ぬ余情を残して余りある空間である。今回は国の名勝である庭園を背景にした本坊が会場であったが、本堂や五重塔、そこに至る石段もまた絶景である。次なる企画がゾクゾク湧いて来る。
私は特定宗教には帰依していないが、あるとすれば、何かの折りに感じる「有難さ」と「奉仕」、または「尽くす」という事ではなかろうか?
人の喜ぶ顔が見たい、そのこと自体はまったく日々の仕事の根本だが、仕事を離れた時、より一層感謝を伴って感じる事が出来る。
自分一人では何も出来はしない。私を助けてくれる人、怒ってくれる人、敵対行為に及ぶ人、全てに感謝、こうべを垂れる今宵の心境である。
秋や来る
鳥啼き美馬の
目は泪
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