酔言猛語

別れ

今朝、久々に悲しい知らせが届く。京都における私のとっておきの隠れ家、いきつけの店であった、ふぐ料理「いつ島」のお父さんが亡くなった。自分にとって、味、サービス、雰囲気、そして主人の人柄、全てが完璧な数少ない掌中の珠を失った。

ミシュランにも載らず、ひっそりと祇園の一角で日本有数のふぐを食わせる名店であった。松嶋屋一家が代々贔屓にし、来店はもちろん、楽屋にも始終出前を取っていた店だと言ったら、その内容の程は知れるだろう。お父さんは五島列島の出で、入れ歯の具合と相まって、最初は話の内容が良く分からない事もあったが、次第にこちらが慣れ、分かるようになった。飾らない人柄の中に、時々ぶっちゃけ話をしては、傍らのお母さんに「これ!」と嗜められる茶目っ気があり、本当に愛すべき好人物であった。

二三年前から体調悪く、「もういつまで出来るか分からん」と言っておられたので、毎冬欠かさず一度は伺っていたが、この冬は十一月と二月の二度伺ったのも、虫が知らせたのかも知れない。あの飄々とした笑顔と、巨漢の指先から繊細に研ぎ出される旨みと滋味溢れるてっさを、もう二度と味わえないかと思うと、計り知れない喪失感がある。

白子や焼きふぐも良かったが、何といっても鍋の汁である。あの味は余所では出ない。これで銀座大隈に続き、私にとって東西両横綱のふぐ屋を失った事になる。よくよく最後の客の素質があるのか、堪らないほど好みに合うと、必ず皆いなくなってしまうきらいがある。食い物屋しかり、職人しかり。まあ、十代で山田五十鈴、杉村春子の追っかけになるくらいだから、ある年齢までは、好きになった人が次々逝ってしまうのは必定と言えばそれまでだか、なんともやりきれない。しばらくはふぐは見るのもいやだ!の心境である。

ただただ、ガイド本なんかに載らず、本当に味の分かる客だけに愛され、七十二才の人生を全うしたお父さんに、ひれ酒で乾杯。そして合掌。